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百貨店の未来について

実は、僕は百貨店に関しては、ちょっとばかり詳しい。銀行時代に某百貨店の経営再建に関わったことがあるからだ。

かつて、百貨店には夢があった。庶民が、ちょっと背伸びをして買い物を楽しむハレの場であった。僕なんかよりも少し上の世代からは、月に1回ほど、親に連れられて百貨店に買い物に行き、大食堂でお子さまランチを食べさせてもらうのが楽しみだったとかいう話をよく聞かされたものだ。

僕が大学生の頃でも、まだ百貨店は燦然と輝いていた。バブル前後の頃の話である。当時は、西武百貨店の池袋本店が三越本店を抜き日本一の百貨店であった。有名コピーライターがキャッチコピーを書き、物販だけでなく、美術館、劇場、出版等まで手掛けていた。完全な冷やかしだったが、就活で西武百貨店の面接を受けに行ったことを覚えている。

百貨店というのは、歴史的に見ると、鉄道系と呉服系に大別される。日本各地のローカル百貨店や、三越伊勢丹、大丸、松坂屋、高島屋等は後者である。前者の代表は阪急である。鉄道のターミナル駅に百貨店を作るビジネスモデルの端緒でもある。

呉服系の百貨店にとっては呉服は祖業であると言える。百貨店には外商と言って、富裕層向けの営業担当者がいる。彼らにとって、「呉服、宝飾品、美術品」(これらを称して「ごほうび」と呼ぶ)は、大きな売上を見込めるカテゴリーである。その一角をやめるというのは、かなり思い切った決断であろう。

しかしながら、外商担当者が担当する富裕層は店頭に来店するとは限らない。値の張る「呉、宝、美」(ごほうび)など、店頭に在庫として置いておかずとも、顧客のご要望に応じて取り寄せれば済む。カタログだけあれば商売はできる。そう考えれば、家賃の高い都心の店舗にそもそもこれら商品の売り場を構えておく必要もない。

かつての百貨店はいろいろな商品が何でも揃うのがウリであり、だから「百貨店」だったわけであるが、個別分野に特化したカテゴリーキラーと呼ばれる大型専門店と競ったところで、百貨店が太刀打ちできないのは消費者もよくわかっている。家電、書籍、CD・DVD、家具、医薬品、スポーツ用品、玩具、カジュアル衣料品等の分野である。こういう分野に関しては、最初から自前の売り場を設けず、専門店にお任せした方が効率が良い。百貨店は百貨店の得意な領域に特化すれば良いのだ。

で、百貨店の得意な分野とは、突き詰めれば、高級衣料、高級雑貨等のファッション分野と、あとはデパ地下くらいであろう。

「ファッションの伊勢丹」というキャッチフレーズがあったが(今も死語ではないことを祈るが)、「百貨店に置いてある商品だから」という消費者の漠然とした信頼感のようなものは今でも十分に有効であろう。ファッション分野に関するならば、厳選された商品だけを取り揃えた、いわば大型のセレクトショップみたいな役割は、今後も引き続き顧客に支持されるだろう。顧客は、百貨店の目利き力や選択眼に対して、まだまだ高い信頼を寄せているのだ。少なくとも僕らのような中高年以上にとっては老舗百貨店のブランドイメージの神通力はいまだ有効である。

デパ地下も同様である。スーパーマーケットよりも、ちょっと高級な食材やスイーツを買いたいと思う人ならば、まずはデパ地下に行くに違いない。どこかに持っていく手土産も近所のスーパーやコンビニでは買わない。

「百貨店」という看板は、もうそろそろ下ろした方が良いのかもしれない。残るのは、せいぜい「二十貨店」か「三十貨店」くらいである。必ずしも得意分野とは言えないその他の売り場については、カテゴリーキラーにでもいさぎよく明け渡して、それらの売り場に関しては、「場所貸し業」に徹した方が良い。百貨店の不動産業への業態転換とでも言えようか。たぶん、大丸松坂屋などは、既にそういう方向に舵を切っているような気がする。

本業でない部分は「場所貸し業」で結構。そこら辺はメリハリをつけて割り切るところは割り切れば良い。その代わり、本業であるファッションとデパ地下に関する目利き力は今後も維持し、さらには向上させてほしい。詰まるところ、百貨店の「コアコンピタンス」(ライバルを圧倒する能力、あるいは得意分野のこと)はバイヤーの目利き力である。

委託販売が当たり前で、リスクを取らない殿様商売に慣れ切った百貨店が今後も目利き力を維持できるのかどうか。かと言って、買取販売に極端に軸足を移したがために経営危機に瀕した百貨店も過去にあったかと思う。どこまでならばリスクが取れるのか、あとは自社の財務体質との相談である。


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