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「ビュー」と「スキ」について

noteに初めての文章、「自己紹介」を書いたのは、今年の8月5日(金)のことである。およそ1ヶ月半ほど前になる。

その時に、noteを書こうと思った理由として、文章を書く習慣が薄れてきたことに危機感を覚え、日々、文章を書くこと自体に意義を見出したこと、書き続けることに意味があるので、書いてしまったコンテンツにはあまり意味がないこと、自分でも読み返すかどうかわからないし、誰かに読んでもらうことを想定していないという意味のことを書いた。

この点に関しては、まったく嘘はないし、いまも同じことを考えている。

しかしながら、こんなことも書き加えた。
「とはいえ、ご縁があって読んでいただける人がいたならば、それはありがたい」と。

せっかく書いたんだし、読んでもらえたら、やっぱり嬉しいかなという、いわば「スケベ根性」がそこに見え隠れしていた。

その時には、自分では気がつかなかったが、そういう気持ちも自分の中にほんの少しにせよ、あったんだなと今にして思う。

いま、9月15日(木)、時刻は20時過ぎであるが、累計の「ビュー」は、5,000弱、「スキ」は、500と少しである。これが多いのか少ないのかは、僕にはわからない。

それでも、僕の駄文を読んでくれた人がそれだけ世の中に存在するというのは素直に嬉しい。

ダッシュボードを見ると、各記事ごとの「ビュー」「スキ」もわかる。自分では頑張って書いたつもりだが、あまり読んでもらえていない記事もあれば、その逆のものもある。

で、最近は、毎日、「ビュー」「スキ」をチェックしている自分に気がついて、少し困惑し始めた。さらに、週次の「ビュー」「スキ」が増えていると嬉しいと思い、伸びていないと嬉しくない自分にも気づき、これに関しても戸惑いを感じるようになった。

最初に書いていたことと、違うやん。

読んでもらえたら、嬉しいかなという、「スケベ根性」が顕在化しているやないかと。

世の中には、「迷惑系ユーチューバー」と呼ばれる人たちがいる。閲覧者を増やすために、世の中の顰蹙を買ったり、騒ぎを起こすようなことを、わざとやらかして、それを動画に流すような連中である。

彼らは、(僕はよく知らないが)閲覧者が増えると、広告収入があるのかもしれない。そういう現実的な実入りがあるから、閲覧者を増やすために必死になるのだろう。

でも、根底にあるのは、おそらく、「承認欲求」である。世間の人たちに注目してもらいたいという単純な衝動。暴走族とか、成人式で暴れる若い人と同じ衝動と言っても良い。

もしかしたら、僕にも同じような欲求が、腹の底にあるのではないか。よくよく、気をつけなければならないと思う。

結果として、「ビュー」や「スキ」が増えるのは、まあ良い。でも、「ビュー」や「スキ」を増やすために、何やら世間を煽るような記事を書いたり、目を引くようなタイトルをつけたりし始めたら、自分は間違った方向に迷走し始めたと考えるべきであろう。

そういう危険な兆候を自分で感じ取ったならば、立ち止まって、noteの書き方についても、改めて再検討しなければならないと思う。

前もって、自身を戒めるため、以上の記事を書いて、記録に残しておきたいと思った次第である。


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