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立川談春 独演会について

今年の1月から、森ノ宮ピロティホールにて、立川談春が、芸歴40周年記念の特別企画として、毎月連続で独演会を行なっている。昨日、4月3日(水)は、その3回目であった。

演題は、最初に弟子の立川小春志による「家見舞」、続いて、談春が登場しての「よかちょろ」、休憩を挟んで「百年目」である。

談春の独演会は、今まで何回も通っているが、談春以外に弟子が登場したのは、今回が初めてである。小春志という落語家は知らなかった。談春の一番弟子なのだそうで、既に昨年、23年5月に真打に昇進しているというから、本来ならば、前座をやるような立場ではない。甲高い声で喋っていると思ったら、女性であった。

「よかちょろ」という落語は、今回、初めて聴いた。談春の話によれば、「山崎屋」という長い噺の発端部分を改作したものだそうで、あまり取り上げられることがないものながら、なぜか師匠の談志が好んでしばしば喋っていたのだという。サゲの部分も、今となっては、何やら意味不明。若旦那が勘当されるところで唐突に終わっている。物語云々というよりも、そこに至るまでの話術だけで聴かせる噺であろう。

遊びで羽目を外しすぎて、父親から勘当される息子の噺ということで、「よかちょろ」自体が、この後、語られる、「百年目」のマクラというか、伏線みたいな位置づけである。

今回のメインの「百年目」は、本来は、上方落語の大ネタである。生前の桂米朝がしばしば取り上げたので有名である。

談春の「百年目」は、以前にもどこかで聴いたことがある。「芝浜」や「文七元結」と同様、談春にとっては、ここ一番で取り上げる十八番の1つという位置づけなのであろう。

「百年目」のサゲは、わかりにくい。少なくとも、現代の我々には、あまりピンと来ない。したがって、すぐれた批評家であり解説者でもある談春の「百年目」は、ここから先が長い。いわば、この作品に込められた意図を、我々が腹落ちできるようにエンディングに向けて説明してくれているのだ。

旦那は、番頭が芸者遊びをしていることを責めるつもりはない。むしろ自分の甲斐性で遊んでいるのだから、誰に憚ることもないことであるのだが、欲を言うならば、部下である手代や小僧たちにも、もっとゆとりを持たせてやって、彼らが生き生きと働けるようにしてやってはどうかと諭す。

ここで、「旦那」という言葉の由来を語るところが良い。主人である自分は、「栴檀(せんだん)」であり、自分に仕える番頭は、「南縁草(なんえんそう)」のようなものである。栴檀が美しく咲き誇れるのは、根元の南縁草のおかげ。南縁草もまた、栴檀の降ろす露のおかげで勢いよく繁ることができる。いわば、両者は持ちつ持たれつの関係にある。

落語では、栴檀の「檀」と、南縁草の「南」を取って、「檀南」、そこから「旦那」になったという説明になる。旦那いわく、自分と番頭との関係も、栴檀と南縁草みたいなもので、自分は番頭に露を降ろし、番頭は自分を支えてくれている。同様に、店では番頭が栴檀であり、手代や小僧たちが南縁草であるから、彼らにも少しは露を降ろしてやってくれないかという話につながる。

ここから先は、この落語では語られないが、「旦那」とは、そもそも仏教由来の言葉であり、サンスクリット語の「ダーナー」の音訳であるという。ダーナーとは、布施すること、与えること等を意味する。そこから、寺院や僧侶に布施・寄進する施主・後援者の意味になったとある。

要するに、上司と部下の関係というものは、一方通行であってはならず、お互いに持ちつ持たれつの互恵関係でなければならないという話を、旦那は番頭に対して懇々と諭しているのだ。

部下教育たるもの、厳しいだけではダメであり、多少の目こぼしや遊びの部分もないと、部下の方が疲弊してしまう。番頭は間もなく暖簾分けで店を構えて自分自身が主人となるのだが、そうなったら、今まで以上に柔軟取り混ぜたマネジメントが必要になるということである。

番頭に向かって話をする旦那は、単に甘いだけの人物ではない。前の晩、徹夜で帳簿を点検して、番頭が店のおカネには手をつけておらず、自分のおカネで気晴らしをしていることは精査した上でのアドバイスなのだ。冷徹な経営者として、やるべきことはちゃんとやっているのだ。

で、番頭のせいで徹夜してしまったお陰ですっかり肩が凝ったから、久しぶりに肩を揉めと、番頭に肩を揉ませる。旦那の深い愛情に裏づけられたお説教に心を打たれた番頭は、旦那の肩を揉みながら、ボロボロと涙をこぼす。談春は、先ほどの栴檀の露と番頭の涙を引っかけて、この長い噺を終わらせる。

「サーバントリーダーシップ」という言葉がある。これは、「リーダーの目標は奉仕することである」というリーダーシップ哲学である。

<リーダーの主な焦点が会社や組織の繁栄にある従来のリーダーシップとは異なり、サーバントリーダーは、力を分け合い、従業員のニーズを第一に考え、従業員の能力開発とパフォーマンスを最大限に高める効果がある。 リーダーに仕えるために働く人々の代わりに、リーダーは人々に仕えるために存在する。(中略)リーダーが考え方を変えて最初に奉仕すると、従業員が個人的な成長を遂げるという点で従業員だけでなく、従業員のコミットメントと関与が高まることで組織も成長するというメリットがある。>(Wikipediaより)

当たり前の話であるが、人間関係というものは、一方通行ではない。双方向であり、持ちつ持たれつで成立しているのだ。給料を払っているのだから、従業員は組織のため、上司のために働くのが当たり前、上司たるもの、部下に奉仕してもらうのが当たり前といった考え方では、組織は中長期的には円滑に回らなくなってしまう。

「百年目」を聴きながら、リーダーシップとは、組織運営とは、といったことを改めて考えさせられたものである。

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