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専門性について

就活に関して、また政府がよくわからない話をし始めたようである。

<政府は10日、就職活動の日程ルールを見直し、専門性の高い人材の選考開始を大学3年生終了前の春休みに前倒しすると発表した。現在の大学2年生から適用し、現行から3カ月ほど早める。「専門」の定義は企業任せだ。あいまいなままでは就活の早期化に拍車をかけることになる。>

この記事もあるように、「専門性」なるビッグワードを、定義も曖昧なままで不用意に用いるとなると、どうせ各企業が都合の良いように解釈するようになるし、事実上、就活がなし崩し的に現行よりも早期化することを食い止められなくなってしまうであろう。

そもそも、大学3年終了前の時点で、見きわめが可能な「専門性」とはどういうものであろうか。4年制大学で、最初の2年はまあ一般教養が主体であると考えると、専門教育に専念できた期間はたったの1年となる。わずか1年で「専門性」ありと判断できるのであれば、よほど優秀な学生ということになるし、となると大学教育は最初からたいして期待されていなかったということになる。

こういう議論が起きる背景としては、前にも書いたが、日本の大学が、(特に文系に関して顕著な話であるが)教育機関としての機能を社会からあまり評価されておらず、偏差値に基づいて高校生をスクリーニングしたところで、もう役割終了だと社会から見切られてしまっていることにある。

でも、多くの理系の大学は、真面目に教育機関としての役割を果たそうとしているのではないだろうか。そういう大学にとっては、教育機関としての成果をきちんと見ずに、たった1年の途中経過だけで選別しようというのは、ある意味、とても失礼な話である。なんだったら、大学院の修士課程くらいまでの教育成果を見た上で、「専門性」云々の議論をしてもらいたいと考えるのではないだろうか。

教育機関としての大学、大学卒業生のユーザーとしての企業、これら両者の間でどうも根本から認識がかみ合っていないように思われる。普通の商売であっても、売り手と買い手の思惑がズレていたら、双方に満足のいく商談が成立することはない。買い手は期待する商品を売り手に供給してもらえなくて困るだろうから、売り手に対して苦情を言い、改善を要求する。しかしながら、大学教育に関しては、そうした当たり前の会話が相互に成立しているようには見受けられない。

昔の企業は懐具合に余裕があったので、まっさらの新卒をOJTでじっくりと教育する前提で素材の良し悪しのスクリーニング機能のみを大学に求めていたのだろう。ところが今は、企業側は新卒者に対して、「専門性」「即戦力」を期待する。少なくとも、口ではそのように言う。しかしながら、やっていることは基本的に昔とあまり変わり映えしない。ライバルに先んじて、青田買いのようなことをしようとする。明らかに自己矛盾である。

もう、新卒一括採用自体を全面的に解消した方が、いっそわかりやすいと思うのだが、いかがなものだろうか。



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