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「サザエさん時空」について

漫画、アニメ、小説等で長期間にわたり人気を博す作品はたくさんあるが、これらの作品が長寿化すると避けて通れないのが、「サザエさん時空」問題である。

「サザエさん時空」については、ネットをググると、いろいろなサイトで考察されているので、詳しいことはそれらをご参照いただきたいのだが、簡単に言えば、「作品世界の中での、時間のパラドックス現象」のことである。

サザエさんを例に挙げるならば、アニメ放映スタート時点で、サザエさん24歳、マスオさん28歳、波平さん55歳、フネさん52歳、カツオ11歳、ワカメ9歳、タラちゃん3歳(いずれもアニメの方。原作での設定は微妙に違いあり)といった設定がされていたのだが、アニメ放映開始して既に半世紀以上が経過しているにも拘わらず、この間、基本的に登場人物は誰も年を取っていない。

一方で、四季の移り変わりはあるし、いろいろな時事ネタが盛り込まれるので、作品世界の中で時間が経過していないわけではない。科学技術の発達は我々の世界と同等レベルにあると思われ、磯野家の家電製品は昭和のものではないし、携帯電話やパソコンといった最新機器も登場している。

つまり、我々の世界とあまりギャップが生じない程度に作品世界の中の時間も着実に経過しているにも拘わらず、登場人物は当初設定のままの年齢を維持しているという奇妙な現象が起きているのだ。

同様の現象が見られる作品は、「サザエさん」だけに限らない。「クレヨンしんちゃん」「ドラえもん」「こち亀」等も同様である。

ただし、これらの中の一部の作品においては、特定の人物だけが成長したり、結婚したり、出産したりする一方で、その他の主要登場人物はあまり外見的にも境遇的にも変化が見られないといった変則的なパターンも含まれる。「クッキングパパ」「美味しんぼ」「釣りバカ日誌」等である。「クレヨンしんちゃん」「こち亀」もこれに該当する。

ドラマの「相棒」シリーズ、小説の「新宿鮫」シリーズも似たようなところが見受けられる。時代背景は我々の世界と概ね一致しているが、主要登場人物は年を取っていない。これらはいずれも警察が舞台なので、本当ならば主人公たちはとっくの昔に退官する年齢に達していなければならないのにである。

以上が狭義の「サザエさん時空」である。仮に「パターン①」とするが、「サザエさん時空」には、他にもいくつかのバリエーションがある。

「ちびまる子ちゃん」は、作者の少女時代である昭和40年代の清水市に舞台が固定されているので、「サザエさん」と似てはいるがやや異なる。いわば時間の推移が止まった状態というか、無限ループ、あるいは永劫回帰の状態である。これを仮に「パターン②」とする。

他に、時間の推移がおそろしくゆっくりではあるが、着実に時間が進行しているというパターンは、主にスポーツ関連のものに多い。「ドカベン」「スラムダンク」等が典型である。1試合を何週間も何ヶ月もかけてじっくりと描くからこういう現象が起きる。最近のものだとサッカー監督を主人公にした漫画「ジャイアントキリング」も同様である。週刊誌への連載開始が07年であったが、15年経過したのに、まだ主人公が監督就任した最初のシーズンが終わっていない。こちらを「パターン③」とする。

一方で、池波正太郎の「鬼平」「剣客商売」の各シリーズは、ちゃんと時間が経過している。「鬼平」の主人公、長谷川平蔵は実在の人物だし、「剣客商売」の主人公は架空の人物であるが、脇役に登場する田沼意次は実在の人物である。各エピソードは必ずしも時系列的な順序にはなっておらず、あちこち前後することはあるが、時代設定の枠から決してはみ出さない。これらを「パターン④」とする。

整理すると、最も違和感が大きいのは、言うまでもなく「パターン①」である。

「パターン②」はあまり違和感がない。ずっと永劫回帰するだけである。作品の内容がワンパターンに陥るのはやむを得ないが、作品世界が破綻することはない。

「パターン③」もあまり問題がない。単に時間の進み具合が異常に遅いだけである。ただし作品の人気が出て連載が長期化すると、作品世界の時代背景と現代との間にだんだんとズレが生じてくることになるが、スポーツ関連ものの場合、時代背景はあまり問題にならない。

「パターン④」については何ら問題がない。年表からはみ出さないようにさえ気をつけていれば、以前に書いたエピソードAとエピソードBの間に新たにエピソードCを挿入するといった具合に、後からいくらでもエピソードを差し込むことは可能である。

そうなると、やはり「サザエさん時空」問題、つまり「パターン①」は長寿作品の宿命とはいえ、作品世界のことを熟知する真面目なファンであればあるほど、作品世界で生じる矛盾に耐えられなくなってくることになる。

実は僕は、大沢在昌氏の大ファンで、「新宿鮫」シリーズは第1作(90年)から現時点の最新作である第11作(19年)まですべて読んでいるのだが、およそ30年近い時間が経過しているにも拘わらず、主人公はあまり年を取っていない。階級が警部のままであるのは、シリーズの読者であれば事情を理解しているので構わないとしても、作品世界の中の時間も我々の世界と同じくらいに経過しているようであり、第1作にはショルダーバッグのような巨大な携帯電話が登場していたのが、最近の作品には当たり前のようにスマホが使われている。また主人公の上司が殉職したり、後任の上司が着任したり、主人公の同期が退官して転職したりと、主人公の周囲では確実に時間が経過している。主人公だけが時間の経過から取り残されているのである。一方で、警官には定年があるので、近年、だんだんと矛盾が無視できないくらいに大きくなってきているような気がする。そもそも主人公は、現在、何歳なのだろう。

以上、しょうもない話をあれこれと書き連ねたが、僕自身、この問題に対して明快な回答を提供できないので困っている。

1つの考え方を示すならば、「パターン①」に分類される作品は、多くの場合、長寿の人気シリーズということになるが、各エピソードはすべて独立して存在しており、前後の因果関係とか、時系列での整合性とかは一切無視するという、いわば身も蓋もない割り切り方ができれば、つまり、難しいことは考えず、各エピソードを独立単体の作品として楽しむことができれば、すべては丸く収まる。

もう1つの考え方は、これらの作品は、我々が生きている世界とよく似てはいるが、まったく別のパラレルワールドの話であって、そこでは時間の進み方が我々の世界とは違っているんだなあと考えるということであろうか。何か疑問が生じても、「我々とは別の世界の話だから仕方がない」とこちらも割り切るのである。

ちなみに、このパラレルワールド史観というのは、なかなか便利なものであり、都合の悪いものを、「なかったことに」できてしまう。ゴジラシリーズなどではしばしば利用されている。

言うまでもないが、以上2つの考え方は、「思考停止せよ」「矛盾は無視せよ」と言っているに等しい。

個人的な好みを言わせてもらうならば、やはり首尾一貫して整合性の取れた世界観が提供されている作品の方が安心できるし、作者に対する信頼感が増す。「スターウォーズ」シリーズに熱烈なファンがいるのは、そういうことと何か関係があるような気がする。あの作品に関しては、主要登場人物による根幹の物語だけでなく、些末なエピソードや外伝的な挿話も含めて、作品世界全体の体系的で相互に矛盾のない「年表」を作成することも可能であろう。

また、シリーズ物と呼んでいいのかよくわからないが、映画「トップガン」と最近上映された続編「トップガン・マーヴェリック」も同様である。トム・クルーズが前作から数年くらいしか経過していない現役バリバリのパイロット役で続編に登場するような設定だったならば、さすがに誰もがドン引きしていたであろう。トム・クルーズがいくら若く見えても、カラダを鍛えていてもダメなのである。そうではなくて、ちゃんと30数年の時間の経過を丁寧に描いていたから、続編は鑑賞に耐えられる作品になっていたのだと思う。

そういう意味でも、「相棒」シリーズは、(10月からまた元相棒を加えて新シリーズが始まるようだが)そろそろ終わらせるべきではないかと思っている。あるいは、終わらせる時期を逸してしまい、「こち亀」の両津勘吉のように居直ってしまったのか。僕は、毎シリーズとも熱心に視聴しているのだが、杉下右京が何歳なのか、今でもさっぱりわからないのだ。


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