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「孤独のグルメ」について

「孤独のグルメ」というテレビドラマがある。テレビ東京系で深夜に放映されている。初回は12年1月スタートであるが、現在までに「シーズン10」まで制作されており、年末にはスペシャルドラマが放送されるような人気シリーズになっている。

もともとは、原作/久住昌之、作画/谷口ジロー(故人)による同名の漫画作品が原作である。当初の雑誌連載自体はかなり古い。平成ひと桁台に雑誌連載された後、単行本を経て、2000年代に入ってから文庫本になった後、徐々に増刷がかかり、いわば隠れたロングセラーのような存在になっていた。それに伴い、読み切りの新作も雑誌連載されている。テレビ化されたのは、そうしたタイミングであったが、深夜ドラマでもあり、当初はここまで人気が出るようになるとは誰も予想していなかった。主演の松重豊も、「オッサンが食べてるだけで、別に何か物語があるわけでもないし、事件が起こるわけでもない」「プロフィールの汚点になるだろう」と考え、主演オファーを受けることを躊躇ったという。結果的にはこれが松重の初主演作となり、役者としての知名度アップに大いに貢献することとなったわけであるから、世の中、何がヒットするのか予測するのは難しい。

僕と漫画版「孤独のグルメ」との接点は古い。文庫本になった時点で入手している。手元にある文庫本の奥付を見ると2000年2月29日の第1刷となっている。雑誌「SPA!」に連載されていた読み切り漫画の方についても記憶がある。したがって、ドラマ化された時には、漫画版の井之頭五郎のイメージと松重豊のイメージとのギャップに少々戸惑ったものである。

作画担当の谷口ジローは17年2月に死去しているので、もう漫画版の新作は書かれていない。というか、ドラマの方はもう既にシーズン10まで制作されているので、ドラマと漫画版とは別物と考えるべきであろう。

このドラマの何が面白くて、シーズン10まで制作されるような長寿ドラマになっているのか。それには、いくつか理由があると思う。

1つには、ドラマに登場する店舗のセレクトが適切であることである。高級そうな店舗を紹介するグルメ番組的なものにはせず、一般人が外出先で腹を空かせてフラッと入るという設定と矛盾しないような、価格帯的にも大衆的かつ庶民的なクラスの店舗ばかりで、視聴者に是非行ってみたいと思わせるようなセレクトになっている。

そのためには、1シーズンにつき150軒程度をスタッフが手分けして回り、同じ店に複数回通った上で撮影オファーを出すといった具合でかなり手間ひまをかけてセレクトしている。漫画版では個人営業の雑貨商という主人公の設定もあってか、首都圏が舞台となっているエピソードがほとんどであるが、ドラマ版は視聴者を飽きさせないためか、全国あちこち(場合によっては海外も含む)が舞台となっている。もっとも、注文の品物を届けるためだけの目的で五郎が遠方まで出張したり、(特にスペシャルドラマは)本業とは無関係な頼まれ仕事を請け負って多大な時間や労力を費やしたりと、ちょっと無理矢理な設定(こんなことで商売として成立するのか?)になっているのはドラマなのでやむを得ないところか。

2つめとしては、主人公の五郎の健啖ぶりである。とにかく食べっぷりが豪快で見ていて気持ち良い。ドラマ中でも、店主から「よく食べるね」と驚かれたり感心されたりする場面があるが、それくらいによく食べる。漫画版では注文しすぎて食べ過ぎたり、食べきれない場面があったが、ドラマ版では常に完食である。しかも後から追加注文することも多い。松重豊は食事シーンの撮影がある日は前日夜から食事抜きで撮影に臨むのだそうである。完食するだけではなく、美味しそうに食べるというのも重要なポイントである。

我々の実生活でも言えることだが、誰かと一緒に食事をしていても、美味しそうに食べない人とか、好き嫌いがあって必ず食べ残しをする人、食べ方が汚い人(前に書いたが、箸使いの間違えている人も含む)がいると、食事が楽しくない。食べ方というものは、それくらいに大切であるし、おおげさに言えば、その人の全人格、これまでの人生、育った家庭環境や親の躾まで反映していると言える。その点、松重豊演じる五郎みたいな人であれば、ドラマのように「孤食」ではなく、誰かと一緒であったとしても、きっと楽しい食事になることであろう。それくらいに見ている人間まで幸せな気分にしてくれる見事な食べっぷりなのである。付け加えると、「いただきます」、「ごちそうさまでした」と必ず言うところも、すばらしい。見ていて、気持ちが良い。

3つめとしては、五郎のモノローグが味わい深い。実際の食事シーンの撮影に基づき、松重豊の感想等もおり込みつつモノローグの録音を行なうのだという。松重豊はナレーションだけの仕事も多くやっている人物なので、語り口が堂に入っている。たぶん画面を見ずに音声だけを聴いていても、美味しそうに感じさせるのではないだろうか。

4つめとしては、本編終了後に挿入される「ふらっとQUSUMI」というコーナーが好きである。原作者である久住昌之が本編に登場した店舗を実際に訪問しているのだが、下戸の五郎と違って、いかにも吞ん兵衛の久住による飲み食いの光景が、僕のようにランチで外食してもまずはビールを頼んでしまうような人間にとっては思わず感情移入してしまうことが多い。コロナ渦の緊急事態宣言中はさすがに飲酒は控えていたようだが、直近のシーズンではまた再開している。

漫画版とドラマとは別物と書いたが、漫画版の五郎はドラマ版の松重豊よりも文字どおりに孤独であるし、ちょっと堅苦しく、こだわりが強いタイプである。食事に関しても独自の流儀とか信念のようなものがあるみたいで、それに対して他人から邪魔が入ることを好まない。学生時代に武術を習っていたという設定もあってか、若い従業員を来店客の前で口喧しく叱りつける店主や、部下に酒を強要する客に文句をつけたり、武術の技を掛けて押さえつけるエピソードもあった。

あとヘビースモーカーであり、食事後に一服することが多いのだが、これも今の時代には合わないであろう。そう言えば、新幹線の車中でタバコを吸って、子供連れの乗客に注意されているシーンもあった。こういうのも時代を感じさせる。テレビ版では、途中のシーズンから喫煙シーンは登場していない。コンプライアンス上、いろいろと差支えがあるのであろう。昔のドラマや映画はとにかく喫煙シーンが多かったが、今ならばすべてアウトである。面倒な世の中になったものである。

ちなみに最近のネット記事等で、松重豊がそろそろ井之頭五郎役を降板するのではないかという噂が立っているようだ。松重は僕とほぼ同年代である。毎回毎回あんなにたくさん食べる(それも美味しそうに)ハードな役柄を演じ続けることが年齢的にも体力的にもさすがに厳しくなってきたのかもしれない。

もう10年以上も演じているわけであるし、この辺で思い切って若返りを図っても悪くないかもしれない。10年以上も同じ役を演じたことで、井之頭五郎=松重豊というイメージが視聴者にしっかりインプットされてしまっているので、しばらくは違和感があるかもしれないが、これはこれで仕方がない。

ショーン・コネリーだって、イメージが固定化するのを嫌がって、一世一代の当たり役であるジェイムズ・ボンド役を降板したのであるから。


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