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「成長の麻薬」に惑わされて、人生を見失わないために。

みなさん、圧倒的成長してますか?

まずはこちらを読んで欲しい。


食事は「作業」、栄養素を満たすサラダチキン、野菜ジュース。隙間時間を減らし、オンラインサロンに参加。仕事で結果を追い求め、休日も行きたいところは会社。
ただサラダチキンを買い求めにコンビニを数軒はしご。隙間時間を埋めすぎたために体調を壊す。

「ふははは、なんと本末転倒な」と笑い飛ばせたらよかったのに。
残念だけど私には出来なかった。

かくいう私も「成長教」の信者だからだ。

5時に起きて勉強。ごはん、服は選ぶのが面倒なので同じローテーションで回す。隙間時間はスマホでニュースをチェック。

漫画ほど極端ではないが、私もばりばりの成長教信者。

だから、刺さった。

自分も滑稽なんじゃないかと。

有意義に生きなければいけない

自分は大した人間ではない…だからこそ、がんばって人並みにならなくては。
なんとか普通になるために。勉強しよう。

社会の役に立つなんて大それたことは思っていなくて、ただ将来が不安だから、自分が落ちこぼれないために「せめて意識くらいは高い」ふりをして頑張る。人生の時間は限られている。浪費してはならないのだ。少しでも密度高く、有意義に生きなければならない。

「成長」は楽しい

そうやって頑張ると少しずつだが、自分が「成長」しているのを感じる。前できなかったことができるようになり、上手くいけば他人も認めてくれる。

昨日よりも一歩進んだ今日の自分。前に進んでいる実感。成長をすることで時間を有意義に使えたんだという感覚。

「成長」は楽しい。そして、「成長」には終わりがない。頑張れば、今日よりも素晴らしい自分が明日にいるのだから。

日々成長しなければ。「成長」の麻薬にどっぷりはまり、「成長」を追い求め、信仰する「成長」の信者になる。

最近の新入社員を見ていると、入社当時の自分よりも断然スキルがあり、すごく眩しい。そして何よりも成長を志望している。先の見えない時代。信じられるのは会社ではなく個人。そんな社会を生き抜くために「成長」できる仕事を求める。もはや「成長教」は当たり前なのかもしれない。

で、お前はなにがしたいの?

ただある時気づくのである。自分はそもそもどこを目指して「成長」していたのだっけと。

「前に進むことは楽しい」ただどこに進んでいたのか。進むことだけに気を取られて、どこを目指していたのか忘れている。そもそも今の自分がいるところはどこなのか。自分が望む場所だったのか。実は前に進んでいると思っていただけでずっと同じところをぐるぐる回っていただけんじゃないか。とんでもないところにいるんじゃないか。

成長のために目の前の人を見ることもせず、本当に大事にすべき価値を見失っているのではないか。

人生を見失わないために


私たちは目的と手段を簡単に見誤る。


かの有名なメキシコの漁師とMBAコンサルタントの話のように、本当に欲しかったものは実は簡単に手に入ったりする。別の手段を取ることで。

成長は楽しい。だからこそ、危ない。成長はなにかを得るための手段だったはずなのに、楽しさに溺れて成長自体が目的化する。「成長教」の敬虔な信者になる。
「成長自体が趣味なんだ」そこまで割り切られれば問題ない。ただ大抵の人は気がつかない。「成長の麻薬」の恐ろしさに。

人生は要約できねえんだよ

私が自分が滑稽だと気がついたのは子どもが生まれてからだ。子育ては理不尽、無意味に満ちている。思い通りにいくことの方が稀である。ただその時間は人生にとって「有意義」だと思う。子どもの寝かしつけ、体力の続く限り終わらない怪獣ごっこ、何冊も読んでと言われる絵本。やったからといって成長できるわけじゃない。

ただ80歳になって、自分の人生を振り返った時大事なのは「成長」に費やしていた時間よりも子どもと過ごす何気ない日常に違いない。

「そんなこと当たり前やんけ」と言われるかもしれないのだけど、実際私が気がついたのは30も過ぎてからなのだ。

人生は要約できねえんだよ。
人ってのは毎日毎日、
必死に生きてるわけだ。
つまらない仕事をしたり、
誰かと言い合いしたり。
そういう取るに足りない出来事の積み重ねで、
生活が、人生が、出来上がってる。だろ。

ただな、もし
そいつの一生を要約するとしたら、
そういった日々の
変わらない日常は省かれる。
結婚だとか離婚だとか、
出産だとか転職だとか、
そういったトピックは残るにしても、
日々の生活は削られる。
地味で、くだらないからだ。でもって
「だれそれ氏はこれこれこういう人生を送った」
なんて要約される。

でもな、本当に
そいつにとって大事なのは、
要約して消えた日々の出来事だよ。
それこそが人生ってわけだ。

(モダンタイムス、伊坂幸太郎)

自分の目指す方向、コンパスを持って要約できない日々の出来事を噛み締めて生きる。成長という麻薬に飲み込まれないように。人生を見失わないために。

ということはわかっているのだけど、「そもそも自分の目指す価値ってなんだっけ」「コンパスの向いている方向はどっちやねん」と思うわけで、なんやかんやありつつ日々精一杯もがきつつ人生生きていくのだろうなー
と、子どもとポケモンスナップをする嫁さんを見ながらスマホで文字を打つ。

こんなnoteを書こうなんて思う、まだまだ成長教から抜けきれない自分に呆れつつ…

人生は思っているよりもだいぶ短い。本当に大事なものを蔑ろにせずに生きていたい。

そんなことを考えている。

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