親ガチャ~第1話
奮発して、コイン5枚を投入した。
今度こそ、カネがあって、優しい両親がいて、かわいい娘たちにちやほやされる生活を送るんだ。
握った右の拳の中に汗を感じる。
おもむろに手を開き、ダイヤルに手を伸ばす。
そのガチャの中身は分からない。
銀色の金属でできた無機質な筐体。
ラベルもない。
俺の後ろを、小さな子と手をつないだ幸せそうな親子が通り過ぎる。
館内放送で10分後に始まる肉のセールの予告を流している。
ダイヤルを握ったはいいが、回す度胸がなかなか湧かない。
俺は高2だ。
ケンカばかりしている両親と、4つ上の姉・由美香、3つ下の弟・紅蓮(ぐれん)がいる、いや、いたことになるだろう。
俺は事あるごとに「大学は国立以外許さん」「国立が無理なら県立だ。とにかく公立だ」と言われ続けていた。
国立なんて俺の成績からしたら土台無理な話だ。
行ってる高校は一応にも地域の進学校で名は通っているが、高1で早くも落ちこぼれ、やる気は失った。
成績表を見せても納得しない親父は胸ぐらをつかんで恫喝する始末。
そんなので国立受かるなら世話ないが、俺は反論もできず顔を逸らせる日々だった。
由美香は大学を1年で辞め引き篭もった。
だが、小遣い欲しさに始めたパパ活で妊娠した。
相手はマッチングアプリで知り合った、どこのどいつか分からない親ほど年の離れた男だったらしい。
怒り狂った親父は、殴りつけ問い詰めた。
喚き散らす姉。
何を言っているのかも分からない。
怒りは母にも飛び火し、父の鉄拳が飛んだ。
そんなことで怯む母ではなく、食卓にあった醤油差しを父の顔面に投げつけた。
テーブル上のものが床に落ち、取っ組み合いになる。
紅蓮はそんな様子をスマホで撮影しながら実況を始めた。
みるみる集まる投げ銭に有頂天になる。
近所が通報したのか、パトカーのサイレンが近づいてくる。
俺は紅蓮を足払いで転ばせると、奪ったスマホを風呂に投げ込んだ。
それが昨晩の出来事だ。
俺はあんな家には戻らない。
自転車で20分ほどのモールにやってきたのが1時間ほど前。
それからずっとガチャの前で逡巡していた。
同じように悩んでいるのだろう。
中学生ぐらいの女の子が3台隣のガチャの前でダイヤルに手をかけたまま動かない。
横目で見る。
目をつむっている。
左手を胸に当てている。
意を決したのか、彼女はそのままダイヤルを回す。
吐き出されてきた丸いガチャ玉。
深呼吸。
テープを剥がし左右にひねる。
中身は、
「あっ」という声が聞こえたような気がするが、一瞬俺の前を霧のような気体が覆う。
瞬きするほどの間もない次の瞬間、その子の姿は消えていた。
幸せに、なれよ。
ガチャに使うコインというのは、1年に1枚だけもらえる。
どこから届くのかは分からないが、誕生日を迎えた午前0時になると同時に、あるときは勉強机の上、またあるときは引き出しやカバン、ポケットの中に入っている。
これは世の中の人すべて同じなのかは分からないが、俺の場合はそうだった。
これは一種の禁忌ネタであり、これについて親を含めた他人に質問することはない。
ましてや「昨晩届いてたよ」などと学校でひけらかすこともないし、ネットで調べてもどこにも出ていない。
だが、DNAに刻まれた情報なのか、赤子のときからこのコインの持つ意味は分かっている。
さらに、人生を重ねても年齢と同じ枚数を持っているわけではないらしいということも理解している。
生まれて一度も使わなければ、確かに年齢と同じ枚数を持つことにはなるが、20歳の人がその歳になるまでに5枚使えば、その時点で残り15枚しか持ってないことになる。
だが、誰が何枚持っているか、他人が知ることはない。
闇取引で他人からコインを買ったり譲ってもらうこともできない。
持っている本人以外にはコインとしての価値や効果は生まれない仕組みになっているからだという。
さて、俺も回すか・・・
払い戻しレバーはないので、気が変わってもコインは戻らない。
何もせず失うコインも、それはそういう人生ってことだ。
同じ人生を選択したということ。
だが、俺は嫌だ。
つばを飲み込む。
一点を凝視したまま。
ガ・・・・・チャ
転がり出てきた、本体と同じ銀色の玉。
テープを剥がす。
ひねる。
パカッという音がして、
見慣れた天井。
ベッドの上。
顔を壁際に向ける。
カレンダーは同じ年、同じ日、同じ曜日のままだ。
反対側に顔を向ける。
勉強机がある。
これも同じだ。
机の上の時計は午後5時を少し回ったところ。
ガチャを回したのとほぼ同じ時間だ。
右手を見てみる。
特に異変はない。
左手も見る。
手首のほくろも、中指に貼った絆創膏もそのままだ。
少し体にだるさを感じるが、それは気が張り詰めていたからだろう。
重い体を起こし、ベッドから降りて見回してもやはり何も変わっていない。
嫌な予感がする。
失敗という言葉が頭をよぎる。
そもそも、記憶自体が以前の俺のままで、ガチャを回したことも覚えている。
ガチャは当然初体験だ。
経験者は世の中にはいるだろうが、それがどこの誰かも分からなければ体験談を聞くこともできないから「こういうもんだ」とか「これは失敗」なのかどうかも分からない。
俺は、ガチャを回しさえすれば親が取り変わるはずと思っていた。
その瞬間、俺も今までの俺でなく、全く別の場所で新たな親の元で赤ちゃんからやり直せると思っていた。
赤ちゃんでなく歳がそのままだったとしても、ガチャを回した事実さえ頭の中からは消去され、昨日のことも、一週間前のことも、幼稚園に行っていたころの経験や思い出なんかも全て新しいデータに塗り替えられた、今までの嫌なこと全てが関係のない「新生俺」の生活がシームレスに始まるもんだと思っていたのに。
それが・・・
恐る恐る窓際に寄る。
外を確認してやるんだ。
諦めてたまるか。
ここがもし前の家と変わっていないのなら、家の前には2階建の貧相なアパートがあり、その前の駐車場には随分長いこと動かした形跡のない汚れた軽のスポーツカーが止まっているだろう。
アパートの左隣は小中と同級生だった勝部の家、右隣にはクリーニング屋があるはずだ。
だが窓の外、目に飛び込んできた光景に俺は失望した。
「クソっ! ムカつく!」
少しでも、少しでも前と違うことを見つけてやる!
何でもいいから違うこと、変化したことを探すため部屋を飛び出した。
まずは手近なところ。
俺は右隣にある由美香の部屋のドアノブに手をかけた。
どうせ引き篭もってネトゲでもやってるかマッチングアプリの真っ最中だろう。
施錠していることは分かっているが関係ない。
肩で体当りしドアを開ける。
だが、そこに姉の姿はなかった。
ま、引き篭もりとはいえトイレぐらいは行くだろう。
しかし、引き篭もりと聞いて世が想像する、窓が密閉されゴミの散らかった部屋とは似ても似つかぬ小綺麗さにいささか驚いた。
考えてみると姉の部屋を覗くのは数年ぶりだ。
奴が篭もる前、大学に入ったころは普通のまとまりある部屋だったような気はするが、確かに、引き篭もりだから部屋が汚いというのは勝手な思い込みだったかもしれない。
そんなことはいい。
次は紅蓮の部屋だ。
中房のくせにユーチューバー気取りで、受験勉強もせずくだらねえ配信ばかりしているクソだ。
高校には進学せず配信で食っていくなどと嘯(うそぶ)いているが、昨日はスマホを風呂に沈めてやったからしばらくはできないだろう。
弟の部屋は両親が施錠を許さなかったのでノブを回せば即オープンだ。
しかし姉と同様、弟の姿もそこにはなかった。
しかも、以前見たときのようなケーブルやモニターが所狭しと並べられた雑然さはなく、どうみても弟の持ち物ではない古びた石油ストーブや段ボール箱などが置いてあり、むしろ物置然としている。
ひょっとして・・・ガチャは、微妙に機能した・・・のか?
少し浮足立つ。
僅かな期待が膨らみ、今度は階段を降り食卓に向かうことにした。
どがどがとわざとらしく踏み鳴らし、1階に降りる。
時間的に母親が飯の準備でもしてるだろう。
それが証拠に何か煮炊きしている臭いもする。
親がいつもの親だったなら、その時はその時だ。
この足で直ちにモールに向かい、残った11枚ブチ込んでガチャを回してやる。
擦りガラスのはめ込まれたドアを開け食卓に入る。
椅子5脚に囲まれたテーブルの向こうは台所で、調理をする人の姿は・・・あった。
まな板の上、包丁が踊るトントンという単調な音。
何かを炒めたのか、蓋のされたフライパンの端からはうっすらと湯気のようなものも見える。
しかし、黒のスエット上下という普段の母とは様子の異なるその姿。
何より髪型がまるで違う。
やった!
成功したかもしれない。
「前の」母は肩にもかからないショートヘアだったはずだが、今こちらに背を向けている「母」はセミロングって言うのか、そんな長さだ。
しかし、この髪型・・・?
「早かったのね。いつの間にお帰りになったんです?」
「姉・・・貴、なのか?」
なわけはない。
あいつが料理を作るわけがあるはずない。
作るどころか手伝ってる姿すらただの一度だって見たことはないのだから。
「はあ? 姉貴? 変な動画でも見たの? せっかく早く帰ったんならお皿出したり、冷蔵庫からサラダ出して並べてください」
包丁を右手に持って振り向いたその姿は由美香の面影のある女だった。
しかもハタチ代とは思えぬ貫禄がある、というか老けている。
「お前・・・由美香?」
「名前で呼ぶなんてどうしたんです? そんなことより健治と雅美がもう帰ってきますから」
健治と・・・雅美?
健治と雅美って、親父と・・・母親の名前じゃないか・・・。
「ちょっと待て! 誰が帰ってくるって?」
「どうしちゃったの? 健治と雅美ですよ。いつもこんな時間に学校から帰ってくるじゃないですか。まあ、あなたはいつものこんな時間は会社だから知らないでしょうけど」
おい、どういうことだ?
今、目の前には姉だったはずの由美香がいる。
しかも話しぶりから、こいつは母親というか俺の妻のようだ。
そして父親だった健治と母親だった雅美は学校に行ってる、ということは、あの2人は子ども・・・なのか?
「それにどうしたんです、その格好? 男子高校生の制服みたいじゃないですか」
頭が混乱している。
俺は親ガチャを回した。
親は別の親になるはずだった。
全く新しい世界で、全く新しい親の元で、俺はリスタートするはずだった。
それが・・・確かに親は入れ替わったが・・・親と俺が入れ替わったってことなのか!?
いかん。
なんてこった。
最悪だぞ。
俺はこんな世界、望んでねえっつーの。
そもそも俺は会社に行ってるらしいが、どこの何ていう会社かも知らなければ、どんな仕事内容なのかも、同僚や上司の名前も分からない。
健治や雅美が帰ってくるっていったって、学校名はおろか中学なのか高校なのか、何年生かも分かっちゃいない。
それに、姉だった由美香が妻だなんて・・・
俺と由美香が結婚して、つまりセックスして、子どもが2人、健治や雅美が・・・生まれたって、ことだ・・よな?
俺が、あんな援交女と結婚・・・いや、それ以前に同じ血の流れるきょうだいなんだぞ!
処理しきれない大量の情報が一気に流れ込んでくる。
オーバーフロー。
目眩がする。
頭が沸騰している。
何も聞こえない。
由美香がこちらを見ている。
いつの間にか現れた若い男と女もこちらを不思議そうに眺めている。
メニエルのように天井が回り始める。
駄目だ。吐く。
うっと呻いて、トイレに駆け込んだ。
俺は高校2年、だった。
名前は石徹白(いとしろ)翼。
親父が健治で、母は雅美。
これでも一応は恋愛結婚だったらしい。
小学生のころはまだ仲の良い親で、俺たちも遊園地や泊りがけの旅行なんかにも連れてってくれた。
しかし由美香が高2のころ、成績的に地元のFラン大にしか行けないと分かったころから親父が荒れ始めた。
俺が中1のころだ。
親父はあれでも学生時代は秀才だったようで、自分の子どもも優秀で当たり前と勝手に思い込んでたんだろう。
だから勉強しろ勉強しろとは言わなかったものの、姉の「不出来」に狼狽し、これは全部母親・雅美の遺伝子が悪いんだなどと言い始め、家の中が険悪になった。
母は大学には行ってない。
正確には、家が貧しくきょうだいも多かったから行けなかったと、本人から聞いたことがある。
大学に行かせてもらったのは母の兄である長男だけだったという。
最初は耐えていた母もあまりに理不尽な父の物言いに我慢ならず、先日のような物理的なけんかをすることも増えていった。
そこで父から目をつけられたのは俺だ。
「絶対国立だ! それ以外は認めん」
弟の紅蓮は中学の成績は下の下で、行けても底辺私立が関の山だろう。
あまつさえ、中学出たらユーチューバーで食っていくなどと妄言を吐いているぐらいだから、両親とてもはや諦めているフシがある。
だから最後の砦で、俺にばかり圧がかかるのだ。
「お前のために言ってるんだぞ」などともっともらしいことを言うが、俺は薄々感づいていた。
父が国立にこだわったのは由美香のことや自分の体面だけではない別のことであると。
おそらく金銭的なこともあったんじゃないだろうか。
結婚して数年後、今のこの場所に分譲住宅を買った両親。
何かの折「定年後もローンが残る」という会話を小耳に挟んだことがある。
夫婦2人ならともかく、子ども3人それぞれを生かし、食わせ、学ばせ、ときに遊ばせるためにはよほどの倹約が必要だろうということは、まだ社会に出ていない俺にだって分かる。
強烈な国立推しの理由の大半はそこにあるんじゃないのか。
だが、俺の人生だ。
勝手にレールなんか敷くんじゃない。
国立、国立と連呼したところで、そもそも俺が大学に行くか、行けるかも分からないのに。
大学に行くにせよ、このまま就職するかプーになるにせよ、俺にだって道を選ぶ権利ぐらいある。
打ち込んでいることもなく、何の取り柄もない俺。
それも含めてリセットするため回したガチャだったのに・・・
水を流した便器の中。
揺らいでいる俺の顔が映っている。
高校生の俺じゃない、由美香同様に齢を重ねた中年の顔が。
ガチャはちゃんと結果を出したのだ。
その意味では成功だ。
だが、内容が全くの失敗だ。
これでも新しい記憶に塗り替わっていたならば、そもそもガチャを回した事実も知らず、これが失敗だったと気づくことすらなかったろう。
それならまだ救われる。
何が拙いって「前の俺」の記憶がそっくりそのまま残ってるってことだ。
何でこうなった。
ガチャとはこういうものなのか?
ガチャのマニュアルがあれば熟読したさ!
でも、そんなもんなかった!
回した他の連中もみんな同じような目に遭っているのだろうか。
あの日、あの場所で見かけたあの少女も。
駄目だ。
他人なんかどうでもいい。
とにかく今はこの現状だ。
これでは1日どころか1分、1秒ももたない。
どうするんだ。
どうしたらいいんだ。
この世界で生きていくなんて・・・無理だ。
この世界の情報を何一つ持ち合わせてない俺には荷が重すぎる。
もう何年も生きてきた中年男の顔をしてはいるが、
俺はたった数分前までは高校生だったんだぞ!
ばんばんばんばん。
「おい、親父! 大丈夫かよ」
ドアを叩く若い男の声がする。
きっと、俺の息子、そして親父である健治だろう。
ばんばんばんばん。
「お~いって!」
こんな俺のことも心配してくれてるんだろうか。
よろめきながら立ち上がり、恐る恐るドアを開ける。
「漏れるだろーが!」
体をぶつけ、入れ替わりにトイレに入った健治に背中を怒突かれ押し出される。
粗暴なところが親父のまんまだ。
目の前には雅美だろうか、母の面影をたたえた若い女。
俺の高校の女子制服を着て、汚いものでも見るような、嘲りの表情で腕組みしている。
「帰って早々ウケるんですけど~」
同情も何もないようだ。
わんわん!
「ほらあ、紅蓮も驚いてるじゃない。おいで、紅蓮」
もはやこれまでだ。
俺はこの世界で生きていく気も度胸もない。
もう一度ガチャを回してやる。
この狂った世界に別れを告げてやる。
俺のため、健治のため、雅美のため、由美香や犬になった紅蓮のためにも。
俺は部屋に戻るといつものリュックを鷲掴みにし、猛然と家を飛び出した。
「ばかやろう! それ、俺のエアマックスだろーが!」
後ろで健治の怒鳴り声がするが知ったことか。
自転車にまたがり、向かうはあの店、あのガチャだ。
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