パーソナルスペース
不謹慎かもしれないけれど、緊急事態宣言が出ていたころは快適だったな。
何が快適って、会社の行き帰りの電車。
バカンス休暇のない日本にあって、ゴールデンウイークや年末年始、夏休みで得られる休み以上に長い「仕事や学校に行かなくていい日々」を過ごしていた、いや、そう過ごさざるを得なかった人からすれば、毎日会社に行ってた私なんて、メリハリある生活リズムで、ある意味羨ましい人だったのかもしれない。
もちろん、テレワークに憧れはあったけれども、ウチの会社というかウチの部はデスクワーク中心だからやろうと思えばやれたのに、テレワークも在宅も全くさせてくれなかった。そのくせ会社のお偉いさんたちだけはちゃっかり自宅待機しているという、憤懣やるかたない状況だったのだ。
そんな状況で会社行ってるというか、行かざるを得ないことに対するせめてもの「約得」としては、電車がガラ空きで、まるで自宅の居間でくつろぐが如き出勤ができたってことかなあ。
車内なんて「来年の今ごろは廃止されてる、昼下がりの地方ローカル線」並の客しか乗ってなかった。
これがよかった。
本当に快適。
心の底から嬉しく、清々しいことこの上なかった。
座れるから嬉しいのか?
違う。
人がいないからだ。
どういうわけか私は、私の周りに人が集まってしまう、いや寄せ付けてしまう傾向にあった。それが、バーゲン会場みたいに人が集まっても仕方ない状況なら諦めるが、そうではなく、寂れた山の頂上や朝から晩まで一人も客が来ないような店みたいなところでも起きてしまうのだ。
考えてもみてほしい。
もしあなたが空いている電車に乗っていたとして、他にも空き座席はいくらでもあり、立つ場所だってナンボでもあるのに、なぜだか真横に座られたり、目の前に立たれたら、どう思うか。
もしあなたがレジに並んでいて、隣のレジが開いてるにもかかわらず後ろの客にピタ付けされたらどう思うか。
もしあなたが平日の昼下がり、空いている喫茶店でゆったりとした時の流れに身を委ねていただけなのに、突如混み始めて一気に喧騒となり、子供は走り回る、おっさん、おばさんはでかい声で話し始める、なんて目に遭ったらどう思うか。
嫌でしょ?
不快でしょ?
理不尽でしょ?
私は今まで散々同じ目に遭ってきた。
行く先々で、いつもだ。
なんでだ?
なぜ私の近くに来る。
喫茶店はまあ百歩譲って仕方ないかもしれないが、空いてる電車でわざわざ自分の隣に座らないでくれ! 目の前に立たないでくれ!
もし私が女だったら、それでもわざわざ私の隣に座るかい? その場合、痴漢呼ばわりされても文句は言えんだろう。
それが一転、あのガラ空きだった日々。
世間では寝ても覚めてもコロナ、コロナで、感染ったらどうしようと戦々恐々なのだけれども、私はこの願ってもない快適さを謳歌していた。
人がまばらな駅、車両。隅々まで見渡しても、精々1両に2人か3人しか乗ってない。台風直撃時でさえもう少しは人がいるだろう。ローカル線ではなく、レッキとした地下鉄なのにだ。
しかしま、そんなときでも人間磁石な私。車内に自分1人だけだったとき、途中駅からもう1人乗ってきた客が、あろうことか真ん前に座ってきたこともあった。
なぜ向かいに座る! この状況で?
オレが好きなのか? オレに惹かれるのか? オレを見つめていたいのか、あ~ん?
さすがに軽く殺意を覚えたね。
まあ、それはさておき。
もともと私はパーソナルスペースというのが他人より広いんだと思う。
昔はそんなことなかったような気はするんだが、いつの間にか、気がついたら広くなっていたのだろうか。
もちろんパーソナルスペースというのは家族や友人・知人といった相手には発動しない。
また、満員電車に乗るとか、年末みたいに大混雑のデパ地下やスーパーに行くという、あらかじめ混んでいることが分かっている状況でも現出するということはない。
あくまでも、空きスペースが多いにもかかわらず無遠慮に接近されるというシチュエーションで増幅されるのだ。
もちろん、パーソナルスペースなんて概念も知らなきゃ、そもそも持ち合わせていない人、あっても無頓着な人も多いだろう。
それが普通なのは分かってる。
私が気にし過ぎだってことも分かってる。
別に私だってスペースが侵食されたからとて、いちいち舌打ちしたり、睨みつけたり、あっち行け!なんて言うこともない。
諦めの境地っつうか、そんなことでトラブルになってもしょうもないですからねえ。
だが、嫌なもんはやっぱり嫌なんだよ。
自分だけが我慢して、その我慢を隣の人間は当然知ることができるはずもなく普通に過ごしているという、私だけが勝手に不快がっている、この不公平な空間と時間帯が。
損な性分だなと思う。
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