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somewhere far away

 明けてゆく東の空で徐々に薄くなってゆく四等星みたいに、あるいはサイドミラーの中で少しずつ遠ざかってゆくナトリウム灯みたいに、淡く融けて、消滅できたらいいのに。
 本当は何もかも全部を覚えていたくて、何もかも全部を知りたくて、でもそれはできないから、少しずつ諦めていくうちに諦める癖がついていって、それで、こんな人間になってしまった。
 きみといる夜も、ただ一人でいる夜も、八日目の月はやはり左側だけが欠けていて、憎らしい。俺はその左側の空白を埋められぬまま、のうのうと生きてやがる。本当に。性懲りも無く。
 もういっそのこと、記憶を少しずつ空へと還して、やがて全部を失って、そのまま夜と交差できたらいいのに。

 電車の向かいの席の人が欠伸をしていたり、机に急に日差しが差し込んできたり、ファミマのレジ袋が横断歩道に落ちていたり、そのたびに、しんどいなって思う。生きているのって苦しすぎる。
 たぶん、持久走に似ているのだ。もともと足が速い人は、40%くらいの力で走り続ければいいだろう。けれど、足の遅い人は、ずっと100%の力で走り続けなければならない。追いつけなくならないように必死でしがみついているけれど、足、止めたいよ。ほんとは早く、走るのを止めたいよ。
 それなのに、深夜には電車がない。だから降りた遮断機にの中に入ることもできなくって、まだ生きてる。本当に、端的に言えば生きてる理由なんてそれだけなのかもしれない。
 違うか。勇気がないのかもな、本当は。最終電車が行ってしまったはずの踏切の遮断機が下がって、貨物列車が来たとしても、俺はまだ入れないんだろうな。死にかけたとき、やっとこれでって、思えてしまうのも、きっと、そう。そうだ、ねえ、手を繋ごうよ。きみとなら、一緒になら、入っていけるかもしれないんだ。

 身体だけが健康のまま、何十年なんて生きてらんない。もっと腐らせてほしい。痛くないまま、光になりたい。明けてゆく東の空で徐々に薄くなってゆく四等星に、あるいはサイドミラーの中で少しずつ遠ざかってゆくナトリウム灯に、なりたい。俺はそうなりたいのだ。あまりにも。恍惚として。
 それまでは、走り続けなければならない。いつか、死んだら全部チャラだし。人間なんて、陽子と電子と中性子の塊だし、魂なんて残りはしないし。それだけが救いだよ。それだけが救いだよ。人間に寿命があってよかったよなって、まだ思えてる。俺は、ホント頑張ってるよ。

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