見出し画像

表と裏と全部できみ。

ADHDの長男はよく行き違いでイザコザになる事が多い。

いつでもだらしない
(精一杯やってHPが尽きて何も出来ないところばかりを見られている)

空気が読めなくて人を怒らせることばかり言う
(目で見たものの意味を理解するのがとても難しいので、人の表情から感情を読み取ったり、周りの人の行動を見てやるべき事を推理、真似する事が困難)

こうしてから、あーしてね。と言ってるのに全然違うことをする
(短期的にも長期的にも言葉を記憶に留めることが難しいので理解が追いつかず、結果諦めて違う事を始める)

乱暴
(視覚的距離感が掴めなくて、ボールを投げたりする時の強さなどが分かりにくい。悪気なく至近距離の人に強いボールをなげてしまったり)

これはほんの一部なんだけど、何が1番大変かって、出来ないことや不得意なことは山盛りあるのに、6年生相当の会話や語彙力がある事によってそれが覆い隠されていること。

「こんなに普通に会話になるんだからこれくらい分からないわけない!」
「わざとらしい間違いかたしないで!」
「努力が足りないだけだよ」
「やれば出来るのになんでやらやいの?」
「人に迷惑をかけるよ」

こうなる。

これ、母親の私も言ってしまったことがあるセリフばかりだ。自分のことを棚に上げて。

でも実は本人にとっては「普通」でいる事に全力を注いでいて、それでも「普通」にまでは至らなくて、叱られ、バカにされ、見捨てられ。生きてるだけでフル稼働。
そりゃ心が疲れるわけだ。

私も少なからずそのタイプなので色濃く遺伝したのなら息子には悪いが、理解はできる。

こんなtweetを見つけてしまった。
数日前にADHDを苦に22歳の若さで亡くなってしまったKOTAさん。

美しい写真と旅先で出会った繋がりに心からの感謝を綴ったtweetは、素晴らしかった。

この人の辛さを考えると、止められない。
止めたその先が明るくなるかどうかなんて、本人にしか変えることができない。

お願いだから生きてなんて、今までどんな目にあってきたのか想像するとそんな薄っぺらな言葉ナイフにしかならないと分かるから何も言えない。
彼の目にはこの世界がどんな風に見えていたのだろう。

でもこれを読んでADHDの息子を想わずには居られなかった。
「薬を飲めばマシになる」
それを信じて飲ませたこともあった。
強がってたけど、今思えば藁にも縋る思いだった。
これで少しでも息子が生きやすくなるのなら、と。

周りの人に理解してもらうにも、「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。ご理解ください」そうなんだけど、そうなんだろうか。1000歩譲っても周りの人に迷惑なのは行動だけで、生まれてきたことが迷惑だと勘違いさせてはいけない。

ADHDは個性だといっても、現実社会では障害となるのが今の日本の現実だ。使えるものは使って、取り入れられるものは取り入れ、いらないものは捨てて現実と向き合うとき、これから彼に待ち受ける困難に母親の私が頭を抱えて叫び出しそうになる。

自分を、世界を嫌いにならないでほしい。

でも息子とはいえ私に彼の人生を変える権利はない。
私という親を持って、今この環境の中に生まれた彼がこれからどうして行くのかを、応援することしかできない。

それでも一人でも味方を作って欲しいと思うのは、親のエゴだろうか。
少しでも理解者がいて、私が居なくなったあとも息子を支えてくれれば。

私が普段強がっていられるのは私達親子を取り巻く人達がまっすぐに温かく向き合ってくれるからだ。
彼はこれから中学校にあがって環境が変わる。
その時の心の濁流はきっと私には計り知れない

私は一緒に悩んで苦しむ事しか出来ないけど、そうして少しずつ分け合って生きていこう。
彼が巣立つ日まで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?