人が前進する姿を見た時、日本人は「歩いてる」「早歩きしている」「小走りしている」「走ってる」なんて表現しますよね。読んで下さっている方々もこの言葉で動きのイメージがなんとなくできると思います。例えば英語を話す国の人は「走ってる」の中にも「ラン」「ダッシュ」「スプリント」なんて分かれます。私たちからするとどこまでが何なのか、全くわかりませんよね。「ダッシュ」と「スプリント」の違いなんて全く分かりません。同じ「走ってる」です。

私たちには「しろ」「きいろ」の区別は付きます。限りなく「しろ」に近い「きいろ」でも違いを見分けられるかもしれません。例えばある村の言語では「しろ」も「きいろ」も全て「明るい色」という言葉でまとめられているそうです。私たちには区別がついていても、その人たちからすれば同じ色なのです。

私たちは言葉を学びますよね。生まれてからずっと言葉を使って生きていますよね。ある実験では生まれた子供に一切言葉を教えなかった場合、ほとんどの子供が幼くして死んでしまったそうです。それだけ言葉は大事なんです。伝えるツールとしての役割がメインのようですが、実はそうではないんです。

私たちが普段感じている「幸せ」も「不幸せ」も言葉を知っているから思うことができるのです。「言葉にならない感情」なんてセリフがありますが、あれは言葉を知らないことで表現できてないのです。自分が何を感じているかも理解できてないのです。私たちは「言葉」によって世界を切り取ることができるのです。言葉を学ぶことで、自分の感性をより豊かにしていき、言葉以外の物事を学んでいくのです。

何にでも名前をつけようとする私たちですから、本能の部分では言葉がめちゃくちゃ大事なんだってことを認識しているのだと思います。スマホとかパワハラとかもその類ですよね。これは何なんだ。この理解できないものや感情や状況は一体なんなの?そうやって言葉を当てはめていったり生み出してきたんですね。言葉こそ人類の歴史かもしれませんね。

私は最近、言葉は「伝える」よりも「認識する」の方で重要なんだなと思います。「伝える」ことって意外と簡単で喋らなくても伝えられるんですよね。表情とか身振り手振りとかで。でも「認識する」って、そもそもその事象を読み取れるかどうかが重要なんですよね。知らなければ見逃すのは当たり前の話で、知ってるからこそ気づけるのですよね。言葉を「認識する」ということは世の中にあるたくさんの現象に気づけるようになるということなんですね。

世の中が気づきで溢れていくんでしょう。綺麗に彩られるといいですね。

おやすみ。。。。。