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心霊探偵八雲 6 失意の果てに

※私が読んだ本の書き出しとざっくりした内容を書き留める読書記録です


はじめの一行

プロローグ

青々とした月が、冷たい光を放っていた。
松谷和則は、胸を圧迫するような息苦しさを感じ、目を覚ました。
時計に目をやる。午前二時を回ったところだった。
もう一度眠りにつこうと目を閉じたが、眠気がおとずれることはなかった。
左足に嵌められたギプスのせいで、思うように寝返りもうてない。
ついには諦めてベッドから起き上がった。
隣のベッドでは、腰痛で入院している中年男が大口を開けて鼾をかいている。

心霊探偵八雲 6 失意の果てに(神永学)

いつもこのシリーズは、ちょっと思わせぶりなシーンから始まる。
今回も例外ではあるシーンから。
じつは、一冊読み終えた後にここに戻ってきたけど、この人の名前、あまり記憶がない。
あんまり重要じゃないような気がしますが、定かではありません。

本書の内容

一心さん

主人公八雲は、固めの瞳が燃えるように赤い青年。
その赤い瞳は、なくなった例の姿が見えるとのこと。
そんな特技(?)と、冷静な推察力から、後藤刑事から迷宮入りしそうな事件の捜査に際して、かなり頼られた存在。
そんな彼の元には幽霊騒ぎの相談が持ち込まれ、その相談は多くの場合殺人事件とつながっている。

今回は、八雲の叔父である一心さんが狙われているという。
狙っているのが、拘置所に収監されている七瀬美雪というから驚き。
そしてそれはあたかも、狂言化に思われたが、実際に一心は差されてしまう。
そんな展開の中で、今回のとても大きな存在感を放つのが、この齊藤一心さん。

この刊では、後藤刑事の家族のことが語られたり、
一心のところで育てられてる奈緒のことが出てきたり、
八雲と晴香の関係が少しだけ動いたり、
いろいろとシリーズの中でも大きな転換点になりそうな一冊です。

映画的に画像が目に浮かぶ小説

このシリーズは、まるで映画を見ているように、画像・映像が目に浮かぶ作風とよく言われます。
なるほど私も初めて読んだときには、そんな風に感じたのですが、それがいったいなぜなのかはよくわかりませんでした。
今回なんとなく感じたのは、視点が第三者だからかもしれないと思いました。
ある登場人物の目から見た情景ではなく、第三者がカメラを構えて、主観ではない形で展開されています。

以前読んだ小説家になろう、的本の中では、とにかく視点を固定せよ、という事を強調していたのを覚えています。
たとえば、主人公の目を通して物語を語るなら、そこから外さないよう工夫すべきだと論じていました。
本シリーズはそこから外れた作風なので、どこか映画的なのかもしれません。

いやーーー、読書って面白いですね。

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ちなみに私はこんな本書いている人です。


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