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豆の上で眠る
※私が読んだ本の書き出しとざっくりした内容を書き留める読書記録です
はじめの1行
文学的表現
湊かなえさんと言えば、押しも押されぬ人気作家のひとり。
とはいえ、実は私、初めて読んだのがこの本です。
この本は、こんなふうに始まります。
大学生になって2度目の夏―
新神戸駅から新幹線こだまに乗って三豊駅まで向かう約二時間、いつも思い出す童話がある。
ナンプレ、クロスワードなどのパズル。テトリス、スーパーマリオなどのゲーム。どんなに集中できる事であっても、頭の中をそれ一面で覆いつくすのは難しい。隙間なく覆われているようでも、実は一枚絵ではなく、ジグソーパズルのような小さなピースの寄せ集めでしかないからだ。
故郷が近付くにつれて、その童話は、ピースの継ぎ目からじわりじわりと染み出してくる。頭の中に物語が画像としてインプットされているなら、わずかな隙間を縫って出てくるのは難しく、毎度現れることはないのかもしれないが、音声としてインプットされているため、容易に侵入を許してしまうのだ。
この表現には凄いなぁ、とぽかんと口を開けてしまいました。
頭の中をジグソーパズルに例えています。
しかも、その継ぎ目から「染み出る」記憶がある、と。
ああ、なんとなくそのイメージを頭に浮かべてみると、その時の印象がありありと浮かびます。
パズルがいくら、ピースの組み合わせとはいえ、そのつなぎ目は決してゆるゆるではありません。
一見ぴったりと引っ付いているピースとピースの隙間からにじみ出てくる記憶。
このどこか抵抗しえないどろどろとした感情。
もうはじめの一ページ目から、どこかしら陰鬱とした印象を感じるのは、私だけでしょうか。
本書の内容
「私」の視点
本書は、たしか全編を通して、主人公である「私」視点で描かれています。
現在の私と、小さなころの私が交錯します。
小さなころの私と、二歳年上の万佑子との物語。
小さい頃は、あんなに大好きだった万佑子。
しかし、ある事件をきっかけに、万佑子との関係はぎすぎすし始めます。
その事件とは、万佑子の失踪事件。
その様子が、まだ小学生だった私(結衣子)の視点で描かれます。
突如として姿を消した万佑子、その万佑子を必死になって探す母。
そんな中、自分自身の家での立場を何となく知り、どこか物悲しい気持ちになる結衣子。
そして、数年後返ってきた姉は、どこかが違う。
前述の通り、湊かなえさんの作品は初めて読みますが、どことなくどんよりとしたムード。
これは、どうも彼女の個性なのかも・・・
何ていう事を、「リバース」という作品を今読みつつ感じています。
表現の一つ一つがすごく個性的で、面白い一冊でした。
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