行動心理捜査官・楯岡絵麻 vs ミステリー作家・佐藤青南
※私が読んだ本の書き出しとざっくりした内容を書き留める読書記録です
はじめの一行
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初めて読んだときも感じたのですが、この書き出しはとにかく写実的な「お茶を入れるシーン」が描写されています。なんとなく、お湯の中にティーバッグからふわっと広がる緑のエキスをボンヤリ見つめている西野を表現したかったのでしょうか。おそらく西野の心を表現するメタファーなんでしょうが、ここまで丁寧に状況描写をしているのにはやっぱりそれなりの意味があるんでしょうね。
本書の内容
作者登場
自分の作品に自分が出演する、というのがお好きな作家の方は時々いらっしゃるようです。
私の中で一番印象に残っているのは、手塚治虫先生。
マンガですが、その中ではわりと頻繁にご本人が出てきたりします。配役としても、手塚治虫で漫画家というパターンを何度か見たような記憶があります。
しかし、小説ではあんまり聞いたことがないように思います。しかも、本作品のようにわりと物語の中心にいるというのは、けっこう珍しいのではないでしょか。
大抵、本人登場っていうのはちょい役が多かった印象があるけど、本作では中心にいます。
設定も、小説家。
リアルな佐藤青南先生のことは良くは存じ上げませんが、作中では結構お洒落で、主人公の楯岡絵麻と同じように、相手のマイクロジェスチャーを読むことができるというすごい人です。
一方で、本業の小説の方はというと、作品のクオリティは今一つ下がってきているような状況。
それでも彼のオンラインサロンは盛況で、そのファンが佐藤青南の本の売り上げを下支えしている状態です。
そんな折に、佐藤とかかわりのありそうな人たちが、佐藤の小説の中の殺害方法に酷似した形で殺されます。
佐藤への取り調べを開始し、楯岡は彼のマイクロジェスチャーを読みますが、佐藤青南はそれを全く意に介しません。
そんなもの証拠にはならない、ということで開き直られるわけです。
ウソを見抜かれてうろたえるから、人は観念して本当のことを話します。
しかし、佐藤青南は嘘を見破られているにもかかわらず平然として、嘘をつきとおす。
すべてオミトオシの楯岡絵麻もこの反応には随分翻弄されます。
その結末はどこに行くのか。
なかなかの見ものです。
ありのまま利用する
物語としては、なかなかに面白い展開を見せてくれますが、私が面白いな、と思ったのは佐藤青南のビジネスモデル。
はじめに自身の小説をヒットさせたあと、オンラインサロンを作り、そこに集う人たちが佐藤青南の本を複数買う。某アイドルグループのCDのような感じですね。
さらに、サロン内では「自分の小説を世に出す権利」というのが売られているようです。自分で小説を書き、それを佐藤青南名義で出版する。
権利の購入者は自分の名前は出ないものの、自分の物語が本となって世に出るというのは、感無量かもしれません。
それって、佐藤青南の名前的にはちょっとよくないのでは?と思いますが、当の佐藤は「作品の評価は作品そのものより、世間的な見栄え」的なもので決まると考えているようです。
つまり、有名作家の本なら、中身が駄作でもそこそこ評価される、と。
まあここが、世間との不一致もあったりしたのですが。
本作は、佐藤青南が感じる、作品への評価の危うさみたいなものも一つの裏テーマになっているようです。
この辺りは、リアル佐藤青南さんも感じる部分があるからこそ小説にそんな話が出てくるのかもしれません。
いやーーー、読書って素晴らしいですね。
ちなみに私はこんな本書いてる人です。
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