言えなかったな

クドカンのドラマで出てきた「おっさんレンタル」ならぬ「おねえさんレンタル」を試してみた。体のいい人身売買である。

依頼内容は「一緒に勉強してくれ」である。

最近はとある占いスクールに通っている。勉学の内容は非常に面白いものでもある。だが、難解だ。ここのところその内容の難しさに辟易しているのである。それを補うには自宅などでのおさらい、復習が必要である。だが、ひとりではやる気が出ない。そこで、だ。考えた。

「一緒に学習してくれる人が居たらいいんじゃね?受験勉強も友達と一緒にマクドとか図書館とか行ってやったらやる気出るじゃん。」

しかも可愛い妙齢の女の子が一緒に学習してくれたら、なおやる気が出て良いのではないか。

そこで、おねえさんレンタルである。

最寄り駅で待ち合わせすると、24歳の彼女は咲き始めの桜の花びらのような笑顔を携えて改札を抜けてやってきた。どうも、少し笑顔に陰りがある。やや緊張しているようである。ここで気の利いた冗談を言うべきか言わまいか。いや、そんなに気を遣うべきではない。だってこっちはいわゆる「客」だもの。あまりにサービスしすぎるのもどうか。迎合しすぎるのもどうか。そんな思いを孕みながら、駅の階段を下りる。

*

トラックや自家用車やバスのエンジン音けたたましい、排気ガスでくもっているように思える、大渋滞の環状八号線の脇を歩きながら、おねえさんに問いかける。

「今日はどこから来たの。」

おねえさんは、ふわっとしたグレーのニットワンピースの中から、にこりと首をかしげてこちらに向いてくれる。色白で化粧っ気なく見える。ベースメイクだけなのだろうか。黒い前髪を揺らしながら歩いている。その髪色とのコントラストのせいか、色白の顔がまぶしい。排気ガスに今にも犯されてしまいそうなそのか弱さをみるにつけ、父親のような気持になった。

そのしみひとつない完璧な白さゆえにこちらの緊張感もやや高ぶるのだが、その無機的な造形の中には別のメッセージを放っている物質が見てとれた。それは砂漠のオアシスのような黒い瞳であり、キラキラと光めいて潤んでいた。そこには、吸い込まれそうな救いが、そして緩みがあった。

「今日は目黒から来ました。」

煙たいその道すがら、そんな、どこにでもある会話をしながらカフェを目指す。

「あ、タバコ吸う?禁煙席でいい?」

「吸わないです。」

「おれは吸うけれど。」

「喫煙席でもいいですよ。」

「あ、いや、禁煙席でいいよ。」

こういうところの喫煙室に来ると、タバコの匂いが洋服に染みつくのが嫌なのだ。その匂いをまとったせいで電車の中などで他人に怪訝な顔で見られ訝しがられる位なら、一服など断然我慢できる。

そんなふうに「環八の危機」を超え星野珈琲店の門をくぐる。最近よくある名古屋式喫茶店のたぐいだ。

席に着き、おねえさんにメニュー表を渡す。

「なんでも選んでいいよ。ご飯食べてきた?」

おねえさんレンタルでは、交際費はクライアント持ちなのだ。一緒にカラオケに行こうとも一緒に遊園地に行こうとも一緒に高級フレンチのディナーを食べようとも一緒にワイキキのビーチに行こうとも、彼女たちには一切の金銭的負担がない。当然の話だが。

おねえさんは、いちごのパンケーキを頼むと言った。

いちごのパンケーキは美しかった。

オーダーしてから「好物はスイーツ」と言い放っていたおねえさんは、ウエイトレスが運んできたそれを見るなり、うわあ!すごい!と声を上げ、スマホで撮影し始めた。なにせ、3センチ以上はありそうな分厚いパンケーキ二段重ねである。自身は占いの学習を進めていて、一瞬そちらに目を向けたが、それほど関心ない風を装い、あまり目線をくれずに居た。

そのうち耳に柔らかな声が入ってきて目を見開いた。ふふん、ふふふん、とおねえさんはパンケーキをついばみながら鼻でモーツアルトの協奏曲に合わせて「うた」を鳴らしていたようだった。しあわせでしあわせで仕方ないといった、大胆なその鼻歌に聞き入った。ふふん、ふふふん。モーツアルトに限らず、この店はなかなかいい音楽を流す。ふふん、ふふふん。

この齢の女性と二度ほど男女の関係を持ったことがあるが、今までそんな機嫌のよさそうな鼻歌を彼女たちから聴けたことがない気がした。おねえさんがどんな表情でその鼻歌を奏でているのか、顔を上げて確認しようと何度も思ったけれど、そうしてしまってはその、ディズニーランドから小包で届いたようなファンシーな音色が潰えてしまいそうでつい顔を上げられずに居た。

幾ばくか経ち、鼻歌がおさまった頃、おねえさんが告げる。

「もうお腹いっぱいになっちゃいました。残り、食べますか。」

残りのパンケーキには一つだけ半分に切った苺がのっていた。エロチックな赤さをたたえたそれと共にパンケーキを口に入れる。甘いばかりで味がよくわからない。さっき初めて会ったばかりの女性。その食いさしのパンケーキ。それを口に運ぶごとに、少しの背徳感を覚える。それを振り払うように、あえて乱暴に苺を頬張りながら、会話の糸口を探る。

「読書、好きなんだねー。」

「はい。でも、買っても読めないでツンドクになちゃうんですよ。」

「ツンドクは素晴らしいんだよ。こうやって、机なんかに積んでいるでしょ、読めないと思って。でもこう、本を横にして積んでいると、ふとしたきっかけでその本を手に取りたくなる。それで読書が進んじゃったり。要はタイミングなんだよね。」

「あっでも。。。わたし、この間の引っ越しで本をいっぱい捨てちゃったんです。。。」

今日はじめて、おねえさんが眉を顰めた。大げさに言うと、ついさっきまでの「はなうたの天国」と比べるとさしずめ地獄の様相に見える。気の利いた言葉もなんにもかけられず、もぐもぐと無言で、メープルシロップがびしゃびしゃとかけられたパンケーキを頬張るしかやりようがなかった。

甘ったるい。甘ったるい。その甘ったるさが、みぞおちあたりに黒い雲のような塊を作って留まっていた。急いでコップの水を飲み、それを洗い流そうとした。

午後五時。契約の時間が終わり星野珈琲店を出た。ふたたび環八の交差点に差し掛かり、高井戸駅のある右へとターンする。行きの時にあれほどけたたましかったトラックや乗用車やバスのエンジン音は、夕暮れに混じり少し優しくなっていた気がした。おねえさんは、すっかり気を緩めていて言葉多くなっていた。

おねえさんレンタルならぬ、おっさんレンタルの話をしてくれた。おっさんレンタルをやっている知り合いのイマイさんという人が居るらしく、日に3件か4件ほどの依頼がある売れっ子なのだと言う。そしてそのイマイさんは、レンタル依頼者のうちの女性の一人とお付き合いをするようになったということらしい。

「えーーー!!そんな、おれだったら絶対付き合わないけど。だって、付き合ったらタダで会わないといけなくなるよね。金貰えないじゃん。」

「イマイさん、こういう人。」

スマホの画面にイマイさんが微笑んでいる。

「ちょうどいい顔だね。イケメンすぎるほどでもなく、でも清潔感がある。」

駅がだんだん大きくなってくる。高井戸駅は、環八をまたぐように存在している、高架の駅だ。

「わたし、今度おっさんをレンタルしようと思うんです。パソコン買いたいけれど、どんなのがいいのか分からなくって。」

「えーー!そんなのわざわざレンタルしなくても。えりちゃんにお供してくれるオトコなんていっくらでもいるでしょ。」

「そうかなあ。」

「うん。オトコはね、役に立ちたいんだよ。パソコン系とか機械系とかさ。女性が不得意そうなものを介してオンナの役に立ちたい。あ、でも、レンタルがいいかもね。お金が間に入るとさ、後腐れがない。レンタルがいいよ。」

改札でお別れだ。おねえさんは正面からすーっと息がかかるくらい顔を近づけてきてきた。また会ってくれますか。また会ってくれたらうれしいです、と言って瞳を輝かせた。うん、そうだね、またお願いしますね、とややぎこちなく言葉を返した。

自動改札機に向かう彼女が振り返る。笑顔をつくり右手を振った。カードをタッチしまた振り返るおねえさん。さようなら、と口もとが丁寧に揺れた気がした。そしてグレーのワンピースに包まれた肩も、この季節のやや冷たい風に吹かれる桜のつぼみのようにキュッと揺れた気がした。

のぼりエスカレーターに運ばれる彼女の足もとが目に入る前に、改札に背を向け歩き始めた。三時間ほど前におねえさんと一緒に歩いた階段を再び降りながら、あれさ、ああ言えばよかったなあ、と心の中でつぶやく。おねえさんが眉を顰めたあの時に言うべきだったセリフを、いまさら思いついた。だけれど言えなかったあの言葉は、誰にも知られることなく、いつもの騒音と排気ガスの中に消えていった。


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