見出し画像

シャッターを押すのは楽しい、でもそれが撮りたい写真なのか?という話

写真展をする前と後で何かが変わるかもしれない。
そういう期待はありました。
見える世界が違ってくるかもしれないと。
写真展を終えてもうすぐ1年経つけれど、その変化はなんだったのかなと
今更ながらに考えています。

別所隆弘さんの「写真で何かを伝えたいすべての人たちへ」
という本を読んでいるのですが、
写真表現とは何か書いてある一節がありました。
それは
「写真は世界をどう解釈したか語り直す行為そのもの」
と。

写真はそこに見える事象を切り取るもの。
同じ季節、同じ場所、同じような天気、同じようなアングルであれば
大体同じような写真が量産される。
誰かが撮ったような写真を、自分も同じ様に撮るということに
なんの意味があるのかしらとちょっと考え込んでいたんです。

そうじゃない。
ポストカードにあるような写真を撮りたいわけじゃない。
この写真なら私が撮っても意味ないじゃない?

自分なりの目線で切り取る。自分の世界観で切り取る。
それができたらちょっとは納得できるんだろうと。

写真展で分かったことは
同じ被写体を愛する人とは楽しく繋がれるんだということ。
人、花、動物、土地、風景。
世界観の共有が嬉しい、楽しい。
だからその被写体が「良く」写っていなくてはいけないのです。
「良く」はかっこよくとか、可愛くとか、素敵にとか。
見る人にとって、被写体の世界観を壊す写真であってはいけない。

F値最小で背景ふわふわの、一眼ならではの写真や
丸ボケキラキラの写真
そういうのが撮れると「おっ!!いいかも??」と一瞬思うけど、
それだけを狙ったところで何の前後関係も感じられない写真が仕上がるだけ。

そういうことをぐるぐる考えてて、
色味とか明瞭度とかそういうのは二の次だよなと思う今日この頃です。

別所隆弘さんの記事:ご参考
写真展の前後で見える世界が少し変わる
写真展の振り返り。その前後で少し世界が変わるということ。
別所隆弘2024.07.18



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?