朝ごはん1-1

『新しいカテイカ』について、そろそろ考えてみませんか?

今週の日曜日、下北沢の本屋B&Bで、新刊記念トークイベントを行った。ゲストには生活史研究家の阿古真理さんを迎え、編集の野本有莉さんと三人での対談形式。

阿古さんとはプライベートでも友人で、よく料理や家事の話などをしている。阿古さんの近著『料理は女の義務ですか』(新潮新書)は人はなぜ料理をするのかという大きなテーマのもとに料理の変遷が書かれているのだが、その最初にスープの章がある(実は私もスープ作家として本に登場している)。

『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』ができるまでの、スープ作家と編集者のやりとりなどを、包み隠さず(まあ、それほど隠していたわけでもないけれど)話していった。

スープの基本食材「たまねぎ、にんじん、キャベツ」を使わずに作って欲しいと言われて衝撃を受けた話とか、文字数を少しでも削ってカンタンに見せるために、逆にレシピの方に手を加えて手順や配合を変えていったという話などをしながら、世間ではこういうことになっているけど、ほんとにリアルな台所ってこうじゃない?みたいな話をしていった。みんながぶんぶん首を縦に振ってくれて、ああやっぱり多くの人が思っていたことなんだなーと、あらためて思う。

阿古さんは私たちの他愛ないおしゃべりに豊富な引き出しから歴史的な話を交えてくださって、知識欲のある方々もおおいに満足されたはず。

前置きが長くなったが、さて本題。
トークイベントの最後に、私たちは「新しいカテイカ」というプロジェクト発足の発表をした。メンバーは私と阿古さん、そして大阪のレシピ文化研究家の伊藤尚子さんの3人。小さなはじまりだ。

この研究会のようなプロジェクトは最初は書籍企画の話がきっかけだったのだが、要するに「今の人たちのリアルな暮らしや意識にもっとフィットした暮らし方や家族のコミュニケーションのとりかたがあるはずで、そこが根本的に変わっていかないと、いくら夫婦で平等に分担なんて言ったところで、これからの時代を生き抜くのはあまりに大変すぎるんじゃない?」というところからスタートした。

たとえば、共働き世帯でどうやって毎日ごはんをおいしく食べ回せるのかとか、食事を負担に感じてしまうような家庭料理はもっと合理化されないといけないんじゃないかとか、料理できない人が意味なく抱えている罪悪感の正体を突き止めるとか、コンビニや宅配などのサービス・調理家電などのキッチンテクノロジーなどを取り入れる方法とか。課題は山ほどある。

私の『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』は、楽に食べるためのひとつの解ではあるのだけれど、スープだけですべてが解決できるわけじゃない。今みんなが現実的に感じている家の中の困りごとを洗い出して、組み替えて、新しい価値観に合ったもの、より多くの人が共感できて、もっとみんなが気持ちよく暮らすための「新しいカテイカ」が必要なんじゃないかという話を重ねてきた。

ただこうしたことって、少人数でポツポツやっても意味がなくて、やっぱり多くの人と一緒に行動して、考え、また行動する、というやり取りをしていかなくちゃ現実のものにならない。くらしの話は頭の中だけでやっていても絶対に変われないのだ。点を線に、面に、やがて塊に。

ということで、こんな活動をしていますよ、一緒にやってくれる人はいませんか?ということを声に出したのが今回の発表だったというわけ。一緒に活動してくれる人がいたら、ぜひ声かけてくださいね。

私自身は、先日HAGISOでやったようなごはんのトークイベントをしばらく続けることで、まずは本当にみんなが困っていることやできていないこと、その反対に、できていることってどこにあるんだろうということを聴きながら、それを自分のスープレシピに活かしていきたいと思っている。イベントの話を進めているので、そちらの発表をお楽しみに。

昨日は子どもの頃に私が食べていたおうちカレーを再現。すごく懐かしいけれど、お母さんが一日家にいて家族のためにごはんをつくってくれたあの頃とはもう、違うんだよね。時代は動いている。



読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。