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コンビニ食が罪悪感なのはどうしてなんだろう、とスープを作りながら考えた

ほんとうにおかげさまで『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』が4刷となりました!近所の本屋でみつからないという声も多かったので、今回の増刷でお手元に届くといいなと思っています。

さて、先日スープについてある媒体に取材を受けたとき「有賀さんのレシピはコンビニ食材を使ったりして身近だけど、手を抜いているというのではなくきちんと料理した感があるのがいい」というようなことをライターさんに言われて、ちょっと嬉しかったと同時に、そういえば野本さんがそれと同じことを言っていたぞ、と思った。

私のスープは、だしパックとかコンソメの素をあまり使わない(使わないって決めてるわけじゃないけれど、使う必要がないことも多いから)。野本さんは、コンソメの素を使わずにスープを作ると「すごい事をした気分」になれるという。「料理している感じ」というのは、取材のときに言われたのと同じ言葉だ。

コンソメもそうだけれど、いまどき、コンビニやレンジや冷凍食品、合わせ調味料など便利な食材はあふれるほどある。でもそうしたものにはなぜか罪悪感がつきまとう。

野本さんは、前回のnoteの記事で、実家ではいつでもちゃんとごはんを作ってもらっていたと言っていた。そういう記憶のある人ほど、この罪悪感は強いような気がする。私もまた、長いことそうだった。コロッケ、ハンバーグ、餃子、白菜の漬物やおやつまで手作りしてくれた母は、スーパーのお惣菜などには否定的だった。仮に否定しなかったとしても母の料理はお惣菜とは比べようもないほどおいしかった。私自身も料理は手作り派で、コンビニのお弁当やレトルトは、ちゃんとした食事ができないときの「代替え」の食事という位置づけだった。

でも、時代の流れはすごい。コンビニの棚は最近調味料も豊富でスーパーの棚みたいだし、昔まずかった冷凍野菜はおそるおそる食べてみると意外なほどおいしい。見渡せば使える素材がたくさんあることに気がつくと、今度はその中でどうおいしく食べられるかを考えるのが楽しくなった。(おいしいものをみつけるのは、私のもっとも得意とするところ)

今回の『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』には、コンビニの食材や冷凍食品を使ったり、レンジにかけるだけの簡単料理も多い。それらは決して何かの「代替え」ではない。その食材でなくてはできないおいしさを求めて作ったレシピだ。だからきっと「ちゃんと料理した感」を持ってもらえるのだと思う。必然性があるものには罪悪感も生まれにくい。

少ない材料でシンプルにおいしくなる有賀さんのスープのレシピは、簡単なのに「料理の楽しさ」を初心者にもほどよく味わわせてくれる。だから楽しくて、自分からもっと作りたくなる。楽しんで作っている自分が好きになる。それが「自己肯定感が高まる」ということになるのだろう。

「料理やらなきゃ」から「料理やりたい」へ。そう思ってもらうのが料理のレシピを提供する私の役割なのだとも思っている。だからこんな風に言ってもらってすごく嬉しかった。ありがとうございます。

今日のタイトルしゃしんは『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』より、コンビニ焼き鳥を使ってレンジで作るマグカップスープ。梅干がポイントです。


読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。