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おいしさから逃げたいときもある

今日はもう、朝からダメダメだ……という日がありますよね。今日の私がそうでした。パソコンの電源コードを足にひっかけて差し込み口を壊し、サービスセンターに修理の手続きをし、かわりに引っ張り出した古いパソコンのメンテナンスにどうしようもなく手間取って半日つぶし、午後に繰り上げされたスープの試作をはじめたら、これまたうまくいかなくて。

まともにできたレシピがひとつもないのに作業台や流しは散らかり放題、あげくの果てに詰め替えたばかりの胡椒の蓋をしめ忘れて床にぶちまける……夕方になるにつれてどんどんダメ人間になっていくような気分になっていきます。

ときと場合にもよるんですが、そういうときにおいしいものを食べて元気出そう、というのは、絶対的な正解とも限りません。すべてがズレてしまっている日はおいしいものを食べるというプランすらうまくいかない気がするものです。むしろあまりごちそう感のない、今日という日を静かに幕引きするような地味な食事でそっと終えたい、みたいな考え方もありな気がします。何もしないという選択です。

残った野菜をざくざく刻んでフライパンに次々入れて、ソーセージとかさつまあげの切れ端を粗く刻んでちょい足しする、みたいな野菜炒めを作るのは、こんな日です。たまねぎやにんじんのバランスもあんまり考えられていなくて、実際それほどおいしいわけでもない。ごはんと味噌汁と、あとは納豆や漬物みたいなものを適当に冷蔵庫から出して、なんとか夕飯をやりすごします。こんなとき、夫が文句ひとつ言わないで食べてくれるのは本当にありがたいものです。(今日の私を見ていて文句をつけたら修羅場になると察知したのかもしれません)

おいしさ、というものは料理を作る上で絶対的な価値に思えます。おいしいものがあれば幸せ、おいしいものは正義。プロたちはそのおいしさを価値基準として日々研鑽を重ねていますし、家ごはんを作る人たちも、少しでもおいしいものを食べさせようと努力しているのではないでしょうか。
それだけに、心が弱っているときにキラキラしたおいしさは、少しまぶしすぎることがあります。手を抜いた感じのある料理に心が寄っていくのは川下に流れるみたいなことなのかな。

おいしくなくていいのです。「ふつう」なものを食べていると、明日もまたがんばろうとか、今日の一日を反省しようみたいな前向きな気持ちにはならず、だからこそ、楽な気持ちでいられるわけで。おいしいでしょ、という顔をした料理に対してはそれが自分で作った料理であっても「おいしいね!」みたいな明るい反応をしなきゃならない気がしてしまいます。

野菜炒めのたまねぎが不揃いだったなー、みたいなことをぼんやり思いつつ、それも含めて自分の中にしまい込んで片づけて、お風呂に入って寝る。明日はいい日になるかな、なんてことも、もはや考えません。

とはいえ、適当につくった味噌汁がおいしかったりするとそれはそれで小さな心の癒しになるもの。刻んだみょうが、思いのほかいい仕事をしてくれました。

【今日食べた豆腐とみょうがの味噌汁】
材料:だし500mL、豆腐1/3丁 (100 g)、みょうが2個 みそ大さじ2と1/2(すべて適当)
1鍋にだしを煮立てる(私は今日はだしパックを使いましたがお好みで)
2豆腐を賽の目に切って入れる。みそもおたまに大体の分量を入れておく。
3ゆるんだ味噌を溶き入れる。みょうがを刻んで散らす。



読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。