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3つの理由で、私はスープ作りを続けているのだと思う

きのう12月25日で、朝のスープが丸8年となった。今日から9年目に入る。

「毎日スープを続ける秘訣は?」とよく聞かれるので、思いついたことを話す。でも、なかなか自分の腑に落ちる答えにはなっていない。
継続が素晴らしいことだと、わたしはそれほど思っていないのかもしれない。継続はあくまで結果でしかなく、何をどうやっているのかのほうが大事だ。

それでも、続けてきたものが大きな塊となって、人を感心させたり自分を支えてくれたりするとは感じるので、きっとみんなもそういうことを期待して、継続を望むのだろう。そんな前提で、スープ作りを通じて継続に必要だと私が感じたことを書いてみる。

私がスープを継続できた理由は3つある。
①得意なことだったから、②人の目があったから、③人のためだったから。

とてもシンプルだが、これに尽きる。

①得意なことだったから

そもそも何かを作ることがこどもの頃からものすごく好きだった。絵や漫画を描いたり、家の模型を作ったり、文章を書いたり、手作りの雑誌を作ったりしているときが幸せだった。
料理は小学生の頃に出会った。食べることの好きな家に育って根っからの食いしん坊。仕事にしなくても、私は毎日料理を作り続けている。そして、ここが大事なところなのだが、絵にしろ文にしろ料理にしろ、創作することに関しては、だいたい何をやってもほめられた。うまくいくイメージしかなかった。

好きなことを続けてそれが仕事になる。幸せなことだ。でもそれ以上に幸せだったのは、好きなことが得意なことだった、という点だ。

私はものを作ること以外本当にポンコツ人間で、得意でないことは3日も続かずすぐ放り出してしまう。でも私に限らずきっと誰もが、生来得意なことはよくできるし、得意じゃないことについてはポンコツなんだろうと思っている。好きだから努力できたという言葉に嘘はないが、たぶん得意だから好きになれるのだ。
やりたいことより得意なことのほうが続きやすい。私は長いあいだ、あまり得意でないことをやっていたのだが、スープが私に創作という、自分の得意を思い出させてくれた。続かない人は、自分の得意なことを、忘れているだけかもしれない。

②人の目があったから

私のスープは、1日目から今日まですべての写真とスープのタイトルがアーカイブされている。SNSにアップしていたからだ。
家で料理を作り続ける作業はとても孤独で、家族の反応はそれほど期待できない(大げさに反応しなくていいからこそ家で食べる気楽さがあると思ってはいる)。

一方、SNSに投稿すると、よくも悪くも反応がすぐに返ってくる。ほめられたら嬉しい。嬉しいから続く。シンプルだ。うまくできないときや体調を崩したときには辛くもあったが、それでも人の目がなかったら私はスープ作りをもっとサボっていた。継続は意志ではない、モチベーションと環境づくりに尽きる。モチベーション作りには人の目が欠かせない。

ただ、これは言っておいた方が親切かなと思うけれど、SNSのスキとかいいねをモチベーションにするのは、とくに作品を作っているような人には両刃の剣でもある。自分の作品や発信内容そのもので評価をもらうのは大変だ。だからSNSでコミュニティを作ることは有効だと思う。でも、ものを作るということをやっていく以上、お友達じゃない人に認めてもらうということをどこかでやらないと、その先に進むことができない。私は趣味がシームレスに仕事になっていったので、そのあたりが甘い。プロを目指して何かを継続する人は、自分の今の段階と目的の掛け合わせで決めたらいいと思う。人の目がなくても続くことは最強だ。

③人のためだったから

スープ作りが少しだけ辛い時期があった。息子が就職して家を出たとき。夫は朝が本当に苦手でスープは週末しか口にしないので、作ったスープは私がひとりで朝も昼も食べることになる。食べ手のいない料理ほどむなしいものはない。

私はそのときすでに本を出していて、スープ作家として仕事をしていた。仕事として表に出すスープは家で作るより、アイデアも、作りやすさも、華やかさも高い基準で求められる。朝のスープは私にとって筋トレや走り込みのようなもので、発信のための筋力と体力をつけるために必要だった。
とはいえ食べさせる人のいないスープを毎日続けるのは大変な作業で、それは有名になるとかお金が稼げるというぐらいの動機では支えられない。私は意志薄弱なので、それなら家でごろごろ怠けていたほうがいいやとなってしまう。もっと大きな夢を持つ必要があった。

何のために私は、スープ作りをしているのだろうと考え続け、人のためだというところに着地した。

私はTwitterのプロフィールに「日本をスープの国にする野望」などと書いているが、それは多くの人にもっと楽で豊かな食生活を送ってほしいという意味をもつ。スープはその方法であり象徴なのだと思っている。

スープを作る対象を息子からスープの国の住民に切り替えて、ようやく私は朝のスープを続ける気持ちを保てるようになった。同時に、自分が何のためにこの仕事をやっているのかという理由づけもできた。みんなが癒されながら暮らせるスープの国を作ること。

人はエゴの強い生き物だと思う。それでも、自身のためだけに困難を乗り越えるのは、案外難しい。そこに喜んでくれる人や困っている人がいるから、大変なことでも続けなくちゃと思える。明るい未来を描いて誰かのために何かをやれるのは幸せなことだし、動機としても強い。

シンプルと言いながら自分の話を長々してしまった。継続のために必要なことは、この3つだという話。

①得意なことをやる
②人の目をつくる
③人のためにやる

そして最初にも話したけれど、継続が目的になってはいけない。それはあくまでも結果だから。

明日から私のスープ生活も9年目に入る。また一年、続くかどうかはやってみるまでわからない。そろそろ腹筋何百回みたいな筋トレから、インナーマッスルを鍛えるような時期かもしれないし。

そんなことを考えながら、今朝もスープを作りました。いつも応援してくれて、ありがとうございます。

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読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。