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味見をしてもおいしいかどうかが、わからないことがある

料理家やシェフはよく「味見をしましょう」って言うんですよね。私もよく言います。特にスープは家庭の鍋やちょっとした火加減、煮る時間によって水量がすごく変わってしまうので味見は必須なのです。あと、初心者の方ほど味見しないという傾向があって、念押ししちゃっています。

ところが「味見しても、味がわからないんです」という人がいます。稀にじゃなくてわりとよく聞くのです。それがなぜかということについて、想像にしかすぎませんが考えてみました。

まず、分けておきたいのが味覚障害を起こしているような場合。鉄分が少なくなると味覚障害を起こすことがあります。また花粉の時期などに鼻づまりを起こすと味がわからなくなります。最近は例のウイルスが味覚障害や嗅覚障害を起こすというので私たち料理家は戦々恐々としています。これは個人にはどうにもできない内容で、専門機関へ行っていただくしかありません。

次は、おいしさの基準を誰かに忖度しているケースです。自分の味つけが家族の口に合うかどうかわからない、と悩んでいるうちに味がわからなくなってしまう。私も思い当たります。あからさまに箸が進んでないな…と気づくとへこむので、つい家族の舌に合わせようとしちゃうんですよね。おいしいものを食べてほしいと思ってるわけだから、それ自体は悪くないです。
ときどき「正しい味がわからない」という声を聞くことがあって、これはちょっと問題かなと思っています。おいしさに正解はないからです。

思うに、料理を作る人にもっとも大事なのは「どこに味の基準を作るかを自分が決める」ことです。ちょっと大事なことに感じて太字で書きました。
味つけがその最たるもので、味つけに正解はなく、おいしいと言われるお店の味にもかなり幅があります。
だからこそ、家族を喜ばせると自分が決めたら徹底的に合わせる。今日は家族の好みは無視して自分好みの味つけで行くと決めたら自分の舌に集中する。味の方針を自分で決めるようになって、私は味見で迷いにくくなりました。

このように「味に迷う」ことを「味がわからない」という言葉で表現することはありますが、さらに最近気づいたのは、それがもっと身体的な知覚に影響して本当に味がわからなくなるケースです。
たとえば家族で食卓で囲む習慣がなかった人の場合、「おいしいね」という言葉かけがないのでその食べ物がおいしいかどうか(あるいはまずいかどうか)を判断しないままになります。一人暮らしで一緒に食べる人がいないとき、自分の舌はひとりぼっちになり共有する人がいない。あるいは、貧困などの過酷な状況で味覚のスイッチを一時的に切っている。
人はそういう中で舌の感覚を失い(あるいは獲得できず)味がわからなくなるのかもしれません。

食べ物との関係も同じで、ジャンクフードで育つと適度な塩味や甘みが判断できなくなりますし、香り、風味など細やかな食材のおいしさをキャッチする部分が育たないということもありそうです。

おいしさは単なるうまみや塩味の数値だけではなく、こうした人の知覚にも深くつながっているのではないかと思います。とはいえ、世の中に「絶対味覚」を持っている人などごくわずか。もし味のしない原因が人や食事との関係だとしたら、大人になってからでも少しずつ育てることは可能である、私はそう信じています。

今日はおいしさの幅広めの、かんたん豚汁を作りましょう。

【大根と糸こんにゃくのシンプル豚汁】
豚バラ肉100g 大根150g 糸こんにゃく150g みそ大さじ2と1/2

1大根はいちょう切り、豚バラにくは4-5cmに切る。糸こんにゃくはサッとゆでて湯を切る。
2鍋に水700mLを入れ大根と豚バラ肉、こんにゃくを入れ、みその半量を入れて中火にかけ、大根が軟らかくなるまで煮る。
3残りのみそを溶き入れる。

読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。