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添削屋「ミサキさん」の考察|23|「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」を読んでみた㉓

|22|からつづく

2⃣リズムの良い場所、呼吸をする場所でテンを打つ

谷崎潤一郎『文章讀本』より。
句読点と云うものも宛て字や仮名使いと同じく、到底合理的には扱いきれないのであります。(略)読者が読み下す時に、調子の上から、そこで一と息入れて貰いたい場所に打つことにしております

日垣隆『すぐに稼げる文章術』(幻冬舎)より。
敢えて呼吸をせずに一気に読んでもらいたい箇所には句読点を打たず、リズムとして一呼吸置いてほしいというところに句読点を打つのが原則です

リズム、調子を整えて一息入れてほしいところに打つ。
私もそれが鉄則だと日々感じています。

では、実際の文章の例を見てみます。

 おれも池谷も血の滲むような努力を重ねて今の体力と技術を培った。だが、生まれ持った才能の前ではその努力も色褪せる。才能を持った者が、我々と同じだけの努力を積んだとしたらなおさらだ。
 登山をするにも才能がある。高高度に順応できる肉体。山歩きのコツをすぐに飲みこむ感性。そして、筋肉の質。
 池谷やおれは筋肉質だったが、若林の身体はマラソンランナーのようにほっそりしていた。若林は高性能エンジンのような筋肉を身にまとっているのだ。瞬発力と持久力を兼ね備えている。おれと池谷はパワーでこそ若林を凌駕したが、瞬発力と持久力ではとてもかなわなかった。
 我々がへばっても、若林は平然としている。我々が躊躇するような岩稜でも若林は敢然と挑み、必ず征服してしまう。
 去年、若林は厳冬期にひとりで鹿島槍ヶ岳に挑み、登頂した。森林地帯でのラッセル、雪がへばりついた岩稜など、ひとりで登るにはきつい冬山だ。その真冬の鹿島槍ヶ岳の単独登頂に成功したという噂は山屋の間を流れ、やがて、東京の山岳専門店を経営する会社の耳にも届いた。

「青き山嶺」

直木賞作家馳星周さんの山岳小説『青き山嶺』より。注釈すると、大学の山岳部の仲間、俺(得丸)と、池谷と若林の友情や葛藤を描いたシーンです。
馳星周さんは文章が上手です。読みやすくわかりやすい、リズムもある文章を書きます。読点の打ち方を見ても、それらを損なわないのがよくわかると思います。

つぎは、芥川賞作家平野啓一郎さんの『ある男』より。あらかじめ言っておきますと、読点の数はかなり多めの文章を書く作家です。

 彼はいつもウォッカを飲んでいた。瘦身の割に酒が強く、本人は気持ちよく酔っていると言うが、その口調は穏やかで、何時間経っても変わることがなかった。
 私たちは親しくなった。いい飲み友達が出来るというのは、中年になると、案外、珍しいことである。しかし、二人の関係は、ただこの店のカウンターに限られていて、どちらも連絡先を尋ねようとはしなかった。彼は恐らく遠慮していた。私はと言うと、正直なところ、まだ警戒もしていた。そして実は、もう長らく彼とは会っておらず、多分、二度と会うこともないだろう。彼が店を訪れなくなったことを――その「必要」がなくなったことを――私は良い意味に解釈している。
 小説家は、意識的・無意識的を問わず、いつもどこかで小説のモデルとなるような人物を捜し求めている。ムルソーのような、ホリー・ゴライトリーのような人が、ある日突然、目の前に現れる僥倖を待ち望んでいるところがある。
 モデルとして相応しいのは、その人物が、極めて例外的でありながら、人間の、或いは時代の一種の典型と思われる何かを備えている場合で、フィクションによって、彼または彼女は、象徴の次元にまで醇化されなければならない。

「ある男」

つぎは直木賞作家・西加奈子舞台』より。
これもかなり読点は多い文章です。

 昨晩、タクシーの中から見た街と、朝の光の中で見る街は、全く違っていた。
 夜の街は、雨など降っていないのに、濡れているように見えた。建物が古いからか、それとも、予想していたよりも、街灯や店の看板の光が、淡かったからか。しっとりとした景色は、なんともいえない色気があったが、朝、「燦燦」の光を浴びた町は、昨晩と打って変わって、完全に乾いていた。つやめいていた建物は、「岩です」、と自己紹介されてもよいほど武骨で、だがそのそっけなさが、また好ましかった。
 昨晩ここに着いたときは、少し寂しかった。自分が泊まっている場所は、人通りが少ないところなのかもしれない、そう思っていたが、とんでもない、朝の8時からたくさんの人が行き交う、「街の真ん中」だったのだ。
 角にある緑色の大きなゴミ箱に、モデルのような女が何らかのゴミを捨てていて、見たこともない大きな犬を連れた男が、やはり見たこともない大きなクッキーを食べながら、通り過ぎていく。飲料の業者が、上腕二頭筋をひけらかすように、ひとりでみっつのケースを運んでいて、スーツを着た女が、ワイヤレスヘッドセットの携帯で、べらべらと話をしながら歩いている。パーカーにジーンズ、メッセンジャーバッグの葉太のような格好をした人間もいれば、スーツの上に冬もののコートを羽織っている者、かと思えば、ランニングにショートパンツ姿で、自転車を漕いでいる者もいる。

「舞台」

読点が多く、削っても意味は通じると思われます。
あとは好みの問題ですね。
そこは書き手の自由です。


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