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教師ってなんでこんなに苦しいの?(自己矛盾が生まれる背景)

こんにちは。
元教員で現ヒラ社員のかおるこです。

今日は、何が教師を追い詰めるのか?というシリーズの第2回目をお送りしたいと思います。
(第1回目は→教師ってなんでこんなに疲れるの?(仕事をしているのに対価がない)。)


今日は「先生が苦しい原因は自己矛盾にあり、その背景には学校自体が抱える矛盾があるのではないか」という話をしてみたいと思います。

(ちょっと長いけど最後までお付き合いをば。)

【目次】
・はじめに
・漠然とした悩みの正体
・学校が抱える矛盾とはなにか
・あなたも引き裂かれている
・最後に

では、さっそく始めましょう。

・はじめに

学校の先生は、悩みます。

生徒のこと、学級のこと、授業のこと、保護者のこと…具体的な悩みはたくさんあります。

しかし、教師の悩みの中には、「私、このまま教師をしていていいのだろうか?」という漠然としたものも多いような気がするのです。(私もその一人でした)


・漠然とした悩みの正体

なんでこんなに苦しいんだろう?
仕事はそれなりに出来ているのに、私は一体何に悩んでいるのだろう?

現役時代に、なかなか答えが見つからなかったこの問い。
今はこう考えています。

じぶんの中に「教師としての自己矛盾」が生じているからではないかと。

つまり、自分が教師としてこうありたいという姿(理想)と現場で教師としての役割をこなしている自分(現実)に対して、
自己矛盾を感じているのではないか。

こう書いてしまうと「理想と現実とのギャップ」という問題に片づけられてしまいそうになるのですが、私は、これは個人の問題だけではなく、「学校という場が根本的に抱えている矛盾」が大きく関係しているのではないかと思うのです。


・学校が抱える矛盾とは何か

そもそも学校教育は、対立する二つのイデオロギー(思想)に常に引き裂かれていると言って良い。その二つとは、

1.明治期から始まる軍国主義・集団主義を源流とする思想
2.戦後から始まる民主主義を源流とする思想

である。

■軍国主義・集団主義の思想
・個人の意思より、集団の規律を何よりも重んじる
・社会的身分に基づく上下関係がはっきりしており、トップダウンで物事が決まる
・下の者に拒否権はなく、上の者の命令が絶対的な権限を持つ。
【社会的背景】
明治初期、日本は欧米列強に対抗すべく、(意思決定が早くできる)トップダウン方式の組織や軍隊を大量に生み出す必要があった。

この思想は、今の学校の形(一斉授業等)が始まった明治初期(1872年~)から敗戦時までの約70年間、学校の根底を支える思想であった。


■民主主義の思想
・個人の意思は何よりも尊重されるべきもの
・人はみな平等である
・社会的身分の上下はあるものの、
 ボトムアップで物事を決定することも可能
【社会的背景】
・第二次世界大戦後、日本はアメリカ(GHQ)の占領下となる。米は軍国主義を否定し、自国の価値観である民主主義を日本の公教育に取り入れさせた。

この思想は、戦後(1945年~)から現代まで約70年続いている。

さて、あなたはもうお気づきだろうか。
この相反する2つの思想は、現代の学校教育に、どちらも強く根付いているのである。

教科が違うというだけで、相容れない価値観を1つの学校で教えているのだ。

つまり、「学校」という場そのものが、この2つの矛盾した価値観に常に引き裂かれていると言って過言ではないのである。


・あなたも引き裂かれている

さて、教師をやっているみなさんは、前者と後者、どちらの思想がより好ましいと感じていますか?

わたしは、悩んでいる先生ほど、民主主義の思想である「個」を大切にしながら、子どもたちをはぐぐんでいきたいと願っている人なのではないかと思うのです。

しかし、現実の学校現場では、教師は1人で30~40人の生徒集団をまとめあげねばならない。


1人1人の意見や能力の差に対応することは物理的に不可能であり、「教師」という職業をまっとうし、授業や学級を成立させようとすれば、必ずトップダウンの軍国主義・集団主義的な指導やふるまいをせざるを得ないのである。

わたしは、
ここに、大きな自己矛盾が教師の中に生まれる
と思うのだ。

そして、
この2つの思想の間で、先生自身が引き裂かれてしまっているのだと。


そして、この構造的な問題に気づかないまま、

「自分が教師になって子どもたちに伝えたいと思っていたことを、今の私は果たして伝えることができているだろうか」

「こういう先生にはなりたくないと思っていた先生に、なぜか自分がなってしまっている」

と原因の全てを自分に求めてしまい、悩んだり、自己嫌悪に陥ってしまっている先生がいるのではないかと思うのです。

・最後に

この記事では、教師の漠然とした悩みの正体は、「教師としての自己矛盾」にあるのではないか。

そして、その矛盾が生じる背景に、学校がたどってきた歴史があり、学校そのものも、常に2つの矛盾する思想や価値に引き裂かれているのだ

ということを書きました。

もし、自分が理想の先生になれていないのではと悩んでいる人がいるならば、それはあなたの経験や努力が足りないという問題とは別に、学校が歴史的に、根本的に、構造的に、抱えている問題がたくさんあるからなんだよと伝えたいと思います。

長い記事を最後まで読んで頂いてありがとうございました。

では、また。




最後まで読んでくださってありがとう😊 企画への参加もお待ちしてますね。