見知らぬ町の、見知らぬイオンとかのフードコートで

日清の調理するタイプの焼きそばを作った。何の加減だか、昔食べてた味だな、と思ったら、その味が、小学生の頃駅前のダイエーで食べてた味だと思い出した。母親と自転車でよくダイエーに買い物に来て、最後にフードコートで一緒に焼きそばを食べていた。親も離婚しておらず、まだ平和だった頃の事を。
母親が買い物をしている間に上のおもちゃ売り場の階に行く時の、言葉にするのは難しい、エスカレーターを駆け上っているときの身体の感じ、プラモデルやゲーム機のカセットをじっと見ていたときの感じ、店の中の様子、憶えようとして憶えたものではないことを憶えている。全体的に薄汚れている建物。
買い物が終わる頃に確か、地下にあった食料品売り場に下りていき、母親にビックワンガムという模型がついたお菓子をねだったりしたことを憶えている。そして最後に、一階の出入口すぐ横にあったフードコートとも言えない(ホットドックとかたこ焼きとかが売ってるような)所にふたりで行き、焼きそばを食べた。
段々大きくなるとイヤになるのだが、まだ低学年の頃で、横に母親がいて、自分の食べる姿を見ているあの感じ、見られながら食べているあの感じ、そのときの身体感覚、そのときの心の感じを言葉で再現するのは難しい。でもそういうときの感覚みたいなものが、オレのどこかにしまわれているんだな。
オレはそういう言葉で再現することが難しい、そのとき体験したときに感じた、言葉に出来ない感じや、身体感覚みたいなものを、別の人の中で(オレじゃないから)どれ程再現できるのかわからないけど、それを伝えたいのかもしれないな。
でも、言葉で再現するのが難しいことを言葉で伝えようとするなんて、オレはやっぱりバカで、オレは人生を失敗したのかもしれない。こんな体験をした、こんなものを見た、辛かった、悲しかった、いや、何かそういう言葉にはできないけど、何だか何かを自分は感じた味わった。自分にとってそれは生きている実感として大事だ、いや生きるために大事なことだ、ただその感覚を他人にも吹き込みたい、移したい、移して、あなたの中にあるその感覚や実感と引き写して、あなたはどう感じるのか、確かめたい。ただ、その程度の欲望のために物を書いているのかもしれない。
オレのこどもの頃は昭和だ。でも平成の子には平成の、令和の子には令和の、子どもの頃の感覚があるように。
その人なりの、見知らぬ町の、見知らぬイオンとかのフードコートで、食べてたときの感じがあるのではないか。見かける親子連れのあの子にもこの子にも。別にそんな記憶は無くてもいい、何かあってくれればいい。そのあなたの持っている何かに、自分のそのときの感覚をぶつけたいだけなのかも知れない。

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