見出し画像

老いても不感症になりたくないものは?(小原信治)

加齢と不感症

 箸が転んでもおかしい年頃、という慣用句がある。個人差はあっただろうが、確かに思春期をともに過ごした女の子たちを思い浮かべたときに見えてくるのは笑顔ばかりだ。みんな白い歯を見せて本当によく笑っていた。眩しかった。

 ぼく自身はそれほど笑っていたとは思えないのだけれど、感受性だけは豊かな方だったんじゃないだろうか(自分で言うのもアレですけど)。他者の些細な言動がいつまでも気になったり(言った本人は大抵忘れている)、日々の暮らしや出来事に小さな変化を発見したり感動したり。自分を客観的に見ても繊細で傷つきやすい。もっとおおらかだったら、ストレスで体調を崩したり(日々のランニングはその予防でもある)、こんなに生き辛さを感じることもなかったと思う。何たって疲れる。そして悪い夢ばかり見る(昨日は海外で盗難被害に遭ったクレジットカードを取り戻すために犯人の少年グループを追いかけ回すという夢だった)。

 そんな感受性のアンテナも年齢とともに鈍っていく。10代の頃みたいに次々に生まれてくる新しい音楽が響かなくなったし、アイドルや俳優、芸人の情報更新も10年くらい前で止まっている。ギャグの切れもおしっこの切れとともに悪くなった(ほらね)。

 人間は加齢とともに不感症になっていくそうだ。性的な部分はもちろん、暑さ寒さも感じ難くなるそうだし、満腹感も薄れていくという。若い頃に同世代の葬式で笑っている高齢者の方々を見たとき、自分もこんな風に人の死にすら慣れていくのだろうかと切ない気持ちになった。仕方ないといえは仕方ないことではある。見るもの、聞くもの、経験するものの殆どが初めてではなくなる。恋のときめきも初恋ほどではなく、音楽や映画との出会いにも人生観を変えられたほどの衝撃はない。不感症とまではいわずとも、経験によって感じ方が徐々に弱くなっていくことは否めないだろう。

アート不感症

 2022年8月の映画メシ作品は8月20日からシアターイメージフォーラムほか全国で順次公開される『アートなんかいらない!』。美術館やギャラリーでアート作品に接しても何も感じない。何を面白いと思っていたのかすらわからない。そんな「アート不感症」なるものに陥った山岡信貴監督が世界的なパンデミック禍で「アート不要論」すら叫ばれる中、「日本人にとってアートとは何なのか」について考察していくドキュメンタリーだ。30名以上のアート関係者のインタビューは何度も見返してメモを取るほど知的好奇心が掻き立てられたし、町田康さんの関西弁ナレーションが最&高なのだ(あまりの情報量に放送では話し忘れてしまったのだけれど)。

 ぼく自身、構成作家としてドキュメンタリーを何本か手掛けたけれど、いつも最後まで悩むのがナレーターのキャスティングだ。

ここから先は

3,263字 / 3画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?