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草の根広告社/父子手帖(ニコニコチャンネル復旧までの臨時更新)

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「HAPPY FATHER'S DAY」

 娘が歌を唄ってくれた。振り付きで披露してくれた。「HAPPY FATHER'S DAY」という英語の歌。英語教室で習ってきた歌だ。恥ずかしながらこの年になるまでそういう歌が存在することすら知らなかった。父の日というのがアメリカで生まれたものだったことも。

 父の日なんて50年近く前に何度か缶ビールをプレゼントした程度の朧気な記憶しかない。父親とはそのくらい疎遠だったし、よくわからない意地を張り合っていた。最期の最後まで素直に感謝を伝えることができなかった。

 毎日、子供から「パパ」と呼ばれることがこんなにもうれしいことだともっと早く知っていたら、父親とのコミュニケーションも変わっていたかもしれない。ただ「お父さん」とか「オヤジ」と呼ぶだけで良かったのに、思春期以降のぼくはそれすらできていなかった。

 ぼくが父親になったのは父の晩年だった。父親同士として心を通わせるような時間を持つことができなかった。父の苦労や歓びを知るには父親になるのが遅過ぎたのかもしれない。

 妻が用意してくれたスプマンテで地魚の寿司を摘まんでいると、娘が自作のイラストを刺繍したハンカチタオルをプレゼントしてくれた。

 母に電話をした。娘を膝の上に乗せたまま、カメラ越しに見える仏壇の父に手を合わせた。
 父親にしてくれたことに感謝した。
 ぼくを生んでくれた両親と、ぼくを「パパ」と呼んでくれる世界でたったひとりの娘に。

 そして覚えたばかりの「HAPPY FATHER'S DAY」を娘と一緒に歌った。

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