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老いてもPLASTICのように消えない8月の記憶は?(小原信治)

1978年8月31日

 8月31日は、いつも真夏のような一日が戻って来る。実体験に基づく、ぼくだけの「特異日」だ。ちなみに特異日とは、偶然とは思えない確率で特定の気象状態が現れる日のこと。多くの人が晴れの特異日だと信じている1月1日や10月10日は気象学的に言うと晴れの特異日というわけでもないらしい。

 ルーツは1978年とか79年、小学3、4年に遡る。8月31日は、母がぼくらを海水浴に連れて行ってくれる日だった。そして、その日は必ず、お盆過ぎに台風とともに吹き始める秋の淋しさが嘘みたいな真夏日だった。同級生の多くが夏休みの宿題に追われている中、弟や妹と一緒に電車に揺られること20分。江ノ島が近づくたびに高まる自由な解放感がたまらなく好きだった。

 暑さが長く続くようになった今でこそ、8月31日まで営業している海の家も多いけれど、当時、海の家はお盆休みまでだった。夏は今より短かった。だから8月31日の海には金の掛かる場所がひとつもなかった。それも母がぼくらを8月31日に海水浴に連れて行った理由かもしれない。誰もいない浜辺にレジャーシートを敷き、母が握ったおむすびを食べた。手づかみで食べる鶏の唐揚げと、塩の効いた卵焼きがうまかった。誰もいない海で思う存分、波と遊んだ。真夏の太陽を独り占めしているような贅沢な気分だった。くたくたの身体で乗り込んだ夕暮れ電車で心地良い眠りに誘われた。潮の香りが残る焼けた肌にクーラーの冷気が気持ち良かった。

 子供の頃の夏休みの想い出と言えばそれくらいしかない。母は、出不精な父のせいで、どこにも行かなかったぼくらに駆け込みで夏休みの想い出を作ろうとしてくれたのかもしれない。まるで、やり残した夏休みの宿題を家族総出で片付けるかのように。

「夏の海はな、8月31日が一番面白ぇンだよ」

 2001年の夏に放送された連続ドラマ「早乙女タイフーン」でぼくが書いた台詞だ。何の根拠もない。ただ、ぼく自身の実感だけがこもっている台詞だ。そういえば、母はこのドラマを見たのだろうか。この台詞を聞いて、あの海水浴のことを思い出しただろうか。それにしても、8月31日が絶好の海水浴日和になることを、真夏日が戻って来ることを、母は最初から知っていたのだろうか。

いつかの8月31日

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