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草の根広告社/父子手帖(ニコニコチャンネル復旧までの臨時更新)

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「ひとみ」

 娘に名前の由来を聞かれた。週末の夕食時だった。ビールで緊張を緩めていた中での質問に箸が止まっていた。思えば面と向かって命名について聞かれたのは初めてだった。「娘さんをぼくに下さい」じゃないけれど、ドラマや映画の中でしか見たことのない質問を自分がされていることに愕きがあった。

 道徳の授業で「子どもの幸せを願う親の思い」について考える時間があった。その発展学習として一番身近な自分の「名前」に込められた願いに触れる活動を通じて「命の大切さ」や「家族に対する思い」を育てていくのが狙いだと保護者へのプリントには綴られていた。

「パパはわたしの名前にどんな願いを込めたの?」
 そのひと言だけで、娘の命が宿ってからの8年間が走馬灯のように駆け巡っていた。小さな手でぼくの人差し指をしっかりと握り締めた日のこと。両親が本当にうれしそうだったこと。初めて笑った日のこと。初めて海に連れて行った日のこと。必死になって寝返りの練習をしているのを妻と二人で「がんばれー」と応援したときのこと。離乳食を食べてくれなくて試行錯誤したこと。肺炎で入院した病室で一睡もできなかったこと———書いても書いてもきりがない。初めての経験ばかりだった。戸惑いながら、悩みながら、迷いながら、自分なりに親という役割に奮闘してきた。「書くこと」で自分を客観視しながら、様々なことに折り合いをつけてきたような時間だった。そのことに対して神様からご褒美を頂いたような、うれしさと歯がゆさがあった。

 夕食の後片付けが済んだ後、福山雅治さんの「ひとみ」という楽曲を流しながら妻と二人で娘のインタビューを受けた。

 娘の名前を決めたときに妻と話したこと。世界でたったひとつの命の名前に込めた思いをぼくは話した。娘は愕いたり、頷いたりしながら、メモを取っていた。
「しつもんその3、わたしが生まれてきたときはどんな気持ちでしたか?」
「あぁ、生きてて良かったな、と思いました」
 ぼくはインタビュアーの娘にそう答えた。ヒーローインタビューを受けるスポーツ選手みたいだと思ったけれど心からの気持ちでもあった。
「しつもんその4、今のわたしにどんなふうにそだっていってほしいと思っていますか?」
「いつか『あぁ、生まれてきて良かったな』と思ってくれる日が来るといいなと思っています」

 振り返ってみて改めて思う。この8年間のぼくは何もかもが中途半端だった。子育てと家庭と仕事を両立させようとするあまり、どちらも完全燃焼できたとはとてもじゃないけど言い難い。でもそれは子どものせいじゃない。すべてはぼく自身の覚悟や努力が足りなかったせいだ。にもかかわらず、この8年間はそれまで生きてきた人生とは比べものにならないくらいしあわせな時間でもあった。「生きていて良かった。生まれて来て良かった」と何度思う瞬間があったか自分でもわからない。この夜もそうだった。

「自分の名前は好きですか?」
 インタビューの最後にぼくの方から質問したときだ。娘がうれしそうにこう言った。
「うん、好きだよ。でももっと好きになった」

 ふがいないこの人生まですべて肯定され、赦されたような気持ちだった。

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