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『できたてごはんを君に。』のウラバナシ(2)

破滅的な暑さもようやく落ちてまいりましたけれども、となると、季節は秋でございますね。食欲の秋、読書の秋ということで、ごはんもの小説などいかがでしょうかね。

さて、前回に引き続き、今回も『できたてごはんを君に。』のウラバナシ第二弾ということで、第二話「スパイスの沼」についてお話していこうかなあと思います。ナツイチにあわせて書こうと思ったのに、もうナツイチ終わったじゃん、というのはさておき。


■前作の続き

本作『できたてごはんを君に。』は、少し前に刊行した『本日のメニューは。』と同じ街を舞台にしておりまして、いわゆる兄弟本・姉妹本みたいな位置づけになっております。大体、前作から2~3年後、というざっくりした設定があります。

前作で登場したお店はわりとベテランというか、店主が高齢化して閉店も視野に入っている、みたいなお店が多い中、最終章で新しくキッチンカーで飲食店を始めようとする三十代前半の夫婦を登場させることで、失われる味と新しく生まれる味、という対比を作って終わったのですけれども、夫婦のその後はいかに、というのが第二話「スパイスの沼」ですね。

第二話の主人公、井上璃空・杏南夫妻はキッチンカーの営業をしていましたが、知り合いの援助もあって自分の店を持つことになります。飲食店経営者としては順風満帆のように見えますが、飲食店というのは長時間の重労働になりがちで、幼い子供と妊婦のいる家族経営の飲食店というのは大変だと思うのですよね。新規出店のお店の開店準備なんて、とんでもない労力がかかりますので、飲食店経営、特に個人店経営の人がワーク・ライフ・バランスをどうやって取っていくのか、みたいなものが裏側のテーマになっております。

近年、会社員を中心に、産休・育休をしっかりとるように、みたいなお達しは国からありますけれども、飲食店経営などの自営業の方や、僕のような小説家も含むフリーランスの方には特に補助金といった制度はなく、産休・育休なんてほぼ取れない、というのが現状です。ここ2~30年続いたデフレ経済のせいで、飲食店は特に安いが正義、みたいになってしまって、店主のワンオペ長時間労働で人件費を削る、なんていうのが当たり前になってしまったこともあって、ここでもう一度ね、飲食業を含む自営業家庭の家族のことを振り返ってみましょう、的なお話になっておりますね。

■モデルにしたお店

今回、登場するカレーはスパイスカレーということで、ここは外せないでしょうという名店がこちら。

まあ、魯珈さんに関しては説明の必要はないかと思いますけれども。
スパイスのテンパリングや組み合わせって、ほんとに千差万別、お店が十あれば十通りの作り方があるくらいいろいろなやり方があって、お店それぞれにこだわりとか理論とか哲学がありますけれども、作中では、魯珈さんのスパイスの扱い方を基本にさせてもらっております。
執筆する前に、いろいろ調べるんですけど、ほんとにスパイスカレーって沼でね、、、

もう一点、ルックス面で参考にさせていただいたのはこちらのお店。

ここは、実際に妻と二人でお邪魔させていただいて、中央にご飯の仕切りを作るやり方とか、アチャール(添え物)の盛り方とか、主に盛り付けの仕方を参考にさせていただきました。本作の装丁を見ていただくと、あっ、となるのではないでしょうか。

もちろん、味もスパイスバキバキで、おいしく頂きましたよ。

それから、今回はカレーマニアの友人の作るカレーも参考にさせてもらっておりまして、彼は15年ほど前はやたら角煮にこだわる男ではあったのですが、いつしかそれがスパイスカレーになり、さらに趣味が高じてバーの間借りをして自分のカレーを出すほどになり、今はキャンプでビリヤニをガチで炊く人になりました。

都内のおすすめ店とか、カレーの作り方などいろいろ教えてもらいましたし、装丁のイラストの元になったのも、前述の銀座半月と並んで彼のカレーであったりもしますね。あ、ダジャレではなく。彼のカレー。

この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。さんくす!

■一度見失った

実は、このお話のテーマは当初「スリランカカレー」にしようと思っていたんですよね。スリランカカレーって、いろんな種類のカレーがご飯を中心にたくさん盛られてて、それを、家族の個性と絡めて、「混ぜれば混ぜるほどおいしくなる」みたいな着地点に落とそうかなと思ってたんですけれども。

それが。

ちょうど、執筆時期がコロナ禍が下火になりつつある時期だったこともあって、この話を書く前に、担当編集さん(スリランカ好き)に、僕の代わりに都内のスリランカカレーのお店に取材に行ってもらったのですけれども、そこで、スリランカ人のオーナーから、驚愕の事実を知らされることになるわけです。

「スリランカでは、違う種類のカレーを混ぜて食べるのは行儀が悪い」

えー!

混ぜれば混ぜるほどうまいんとちゃうんかい!
おい、誰だ、混ぜると味が変化して旨い、とかいってたやつ!

よくよく聞くと、スリランカカレーって確かにご飯を中心にいろんなカレーが一度に提供されるんですけど、それぞれのカレーをごはんと一緒に楽しむものであって、ぐっちゃぐちゃに混ぜて食べるのはシンプルに行儀が悪いそうで。いわゆる、味噌汁ぶっかけ飯、猫まんま的な食い方らしいんですよね。ちなみに、日本ではバナナの葉の上に乗って提供されることが多いんですけど、バナナの葉を使うのはあくまで「お弁当用」だそうで、「普通に食う時は食器使うよ」とのこと。
バナナの葉の上に盛られた数種類のカレーをぐちゃぐちゃに混ぜて食って喜ぶ日本人を見て、その心中いかばかりか、、、と思ってしまいましたけれども。

思えば、インドカレーも、日本ではインドでほぼ食べられていないナンが定番になっていたりして、日本人は海外でフルーツの巻きずしなんかが好まれているとガチギレする癖に、わりと他国の食文化に対して雑なとこあるよな、と反省した次第。

当初予定していた話の軸が無残にも叩きおられてしまったので、スリランカカレーはテーマとして使えなくなり、そこから日本で独自に発展しつつあるスパイスカレーへとシフトしてなんとか話をまとめたのですが、編集さんから「面白かった」っていう感想をもらうまでは、ほんとに大丈夫かこの話、と疑問を持ち続けながら書いた一編であります。完成してよかったよ、ほんとに。

■細かすぎて伝わらない小ネタ

さて、誰も気づいてくれない作中の小ネタをバラしていくコーナーでございますけれども、需要があるのかとは思いつつも、作者の自己満足で今回もやらせていただこうかと思います。

(1)登場人物の名前

主人公・井上璃空、そしてその妻の杏南については、前作『本日のメニューは。』からの続投と言うこともありまして、スパイスカレーにちなんだものではなく、前作のロコモコにちなんだものになっております。
ロコモコの起源は諸説あるみたいですが、一説によると、考案者はハワイで飲食店を営んでいた日系人、ナンシー・イノウエという方だと言われております。その旦那さんが、リック・イノウエという方だそうな。
ナンシー(Nancy)」は、英語圏においては「アンナ(Anna)」の愛称であることが多いので、璃空、杏南、という名前はそこから来ておりますね。

登場人物の綱木が二人を「リック」「ナンシー」と呼ぶ元ネタもそれ。

そして、前作で妊娠していた杏南は娘を出産しまして、「愛南(あいな)」と名づけます。「アイナ(`Aina)」はハワイ語で「食事」の意味でして、「アイ(`Ai)=食べる」の複数形のようです。ロコモコはハワイの食べ物ですので、二人の子供はハワイ語から名前を取ってみました。ちなみに、`Aina単数形だと、大地、土地、みたいな意味になるらしいですね。ハンバーガーチェーンの「クア・アイナ」は、大地、の方の意味。

作中、人を独特なニックネームで呼ぶ綱木は、愛南を「エイミー」と呼びますが、英語圏の「エイミー(Amy)」と言う名前は、「愛されている」みたいな意味が語源の名前となっていて、食は愛である、という、本シリーズに共通するテーマを内包した名前になっております。

さて、何度も登場する「綱木」は、前作・今作とも、璃空と他の人との間に入って、間を取り持つ役割がありまして、ロコモコのハンバーグで使われる「つなぎ」から名づけられております。あれですね。パンを牛乳に浸したやつとか、ああいうの。ただ、「綱木」の読み方は「つなき」としていますね。

(2)タイトル

タイトルは、たぶん編集者さんもまったく気づいていなかったと思うのですが、僕が黒沢清監督の映画『スパイの妻』のノベライズを担当させていただいたことから、『スパイの妻』をもじって『スパイスの沼』としております。まあ、若干苦しめですけどね。この章に関しては、タイトルつけるのにすごく悩んだ記憶がありますね。なかなか思いつかなかったんだよなー。

(3)井上夫妻のお店

前作を読んでくださった方は結構気づいたのではないかと思いますが、井上夫妻のお店『イノウエゴハン』は、前作に登場した洋食店『グリル月河軒』の跡地にテナントとして入って開店しております。『月河軒』オーナーシェフであった前沢永吾は、妻と二人で田舎に移住し、空いた店舗を破格の家賃で璃空に貸すことになります。料理人を引退し、老後の新たな生活に踏み出した前沢夫妻のその後も、また書ければいいなと思いますね。

今回、『イノウエゴハン』とう店名については元ネタはなくて、なんとなくこういう名前をつけそうだな、というイメージで命名しておりますね。


ということでございまして、のんびりやらせていただいている『できたてごはんを君に。』のウラバナシ第二弾。また、ゆっくり第三弾も書いていこうと思いますので、気長にお待ちくださいませ。

ごはんシリーズ、どうぞ二冊一緒によろしくお願いいたします。







小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp