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『雇用の未来』を読んで考えた、雇用の未来

近年、「日本の終身雇用制度は崩壊した」とか「メンバーシップ型からジョブ型の雇用に切り替えよう」とか「年功序列はやめて、成果主義や能力主義にしよう」といったことが言われ、やれスキルを身につけようとか、やれ副業をしようといった繰り言を目にするようになった。

その原因については言及しない。単に、1980年代にアメリカで起きたことが40年遅れで日本にやってきた、くらいの理解に留めておいて十分だと私は思っている。今の日本と同じことが、昔アメリカで起きていた。

『雇用の未来』という本がある。2001年8月24日に日本経済新聞社が発刊した、アメリカの雇用関係の学者であるピーター・キャペリが書いた本である。内容は、1980年代初頭のアメリカで、伝統的な雇用モデルを捨て新しい雇用モデルを導入した企業についての研究だ。

私たちはジョブ型や能力主義の話をするとき、比較として「欧米」の話を持ち出すことが多いように思う。正確には「欧米」と一緒くたにできず、「欧」と「米」は事情がだいぶ異なるのだが、本旨と逸れるためここでは触れない。伝えたいのは、アメリカの企業がジョブ型や能力主義を採用したのは割と最近ということである。

第一次世界大戦(1914-1918)中から1980年代初頭にかけて、アメリカの企業は「長期的雇用関係」を前提に、社員に対しては「忠誠・コミットメント」を求め、社員を「社内育成」する雇用モデル(以下、「オールドディール」という)を採用していた。そして1980年代の初頭に、オールドディールを捨てるに至ったのだ。

ここで2つの疑問が浮かぶだろう。1つ目は、なぜオールドディールを捨てたのか。そして2つ目は、そもそもなぜオールドディールを取り入れるに至ったかである。

1つ目の答えは単純だ。当時の不況、科学的経営、技術の進歩などによって、より効率的な経営を行いたいと企業は考えるようになった。スキルを磨く責任を社員に転嫁し、社外からスキルを持つ人材を引き抜くことで生き残りを図ったのである。企業から先に社員とこれまで結んでいた「長期的雇用関係」を絶ったのであった。

では2つ目はというと(これが今回の主題であるが)、100年以上前のアメリカは労働力を管理することが難しくなってしまったのである。これは現代の私たちが、会社にジョブ型や能力主義の片鱗を取り入れてみて、離職の早さやマネジメントのやりにくさに、頭を悩ませるのと似た状況である。これはあとの方で説明をする。

ジョブ型というのはジョブに値札が貼られることである。たとえば、Aのジョブは60万円/月、Bのジョブは3,000円/時間といった具合に、ジョブに値段がついている状態を指す。したがって、ジョブ型を取り入れる企業は、それぞれのジョブの具体的な業務内容を明示し、業務を遂行できる人間に仕事を依頼することになる。

「二〇世紀の初めには、工業部門の労働者の大半が、企業の施設内で請負業者に雇われる形で働くか、あるいは短期間で職を転々とする、いってみれば「臨時・派遣社員」のようなものであった」

『雇用の未来』

オールドディールを導入する前、企業は労働者と「臨時・派遣社員」のような形で契約を結んでいた。労働者は企業に直接雇われるのではなく、請負業者に雇われ、生産高比例方式をベースにした対等な契約関係を結んでいた。つまり出来高制だ。企業が請負業者を通し、職人と契約を結んでいたとイメージするとわかりやすい。

しかしながら、問題が起きた。

「請負人は原材料の一部を個人的な目的に流用することもできた」
「在宅労働者の仕事ぶりや生産量のばらつきにも問題があった」
「他の就業機会が出てくると請負仕事をそっちのけにすることもあった」

『雇用の未来』

請負として契約を結ぶということは、人によって仕事ぶりや生産量をコントロールすることが難しくなったり、就業機会が他にもあるために仕事を安定して依頼することが難しくなったりするリスクを引き受けることだったのである。

やがて企業はこの内部請負制度を断念し、請負人からの正社員化を進めていった。

「社員が請負人のやり方を吸収した段階で、請負人の収入に不満を抱いていた事業主は契約を解消し、職長にそれまでの請負人のポストに就かせた」

『雇用の未来』

この請負人のポストが、のちに「管理職」「ホワイトカラー」と呼ばれるポストのはじまりである。その後、フォード・モーターなどを中心に「管理職」のポストは増大する。

すべての職長から工員の採用や解雇の決定権を取り上げて、中央の人事部門に移管した。年功序列や客観的な業績指標に基づく新しい給与体系も導入され、職長からは賃金設定の権限も取り除かれた。そして、適格者については賃金を二倍にした。

『雇用の未来』

回りくどくなってしまったが、現代の状況と照らし合わせてみるとどうだろうか。私たちはジョブ型や能力主義の話をするとき、「管理職」や「ホワイトカラー」を非生産者として見、不要な職務、なりたくない対象にすることが多いように思う。しかし多くの人がジョブ型に移行してしまうと、管理の問題が出てくるのである。

経営者にせよマネージャーにせよ、ジョブ型の組織ではメンバーの離職を常に恐れなければならない。各人の仕事ぶりや生産量をコントロールしなければならない。しかも現代はリモートワークができ、副業が解禁され、締めつけるマネジメントは好まれないと来ている。

100年以上前のアメリカの企業は労働力を管理するのが難しくなり、「管理職」を生み出した。そして約40年前に、社員と結んでいた「長期的雇用関係」を絶ち、今度はスキルを外で磨くよう促した。値札のついているジョブをこなせるように。

日本の企業は今それを追随している。この先に何が起きるかは、いまのアメリカを見てもわからないようだ。しかし100年以上前のアメリカと、いま目の前で起きている個々の事象を結びつければ、自ずと未来は見えそうである。この本の著者は未来の断定を避けていた。その時代を生きる人に、問いと答えを託したのだろう。


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