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ゼロ

おはようございます。きょうも書いていきます。

『コンテンツマーケティングの新常識(谷口マサト著)』という本を読み、そのなかに気になる考え方があったので、書きたい。Webクリエイティブの4つの原理、という項目にある「知っているモノが、別のモノに見えるように表現する(A≠A)」という考え方だ。

これをはじめに読んだとき、物語における「裏切り」のやり方だと思った。おそらくこの話は最後にこうなるだろうと「常識的」な予想をさせておき、「非常識的」な結果を突きつける。僕らはそれを面白いと感じる。谷口氏はWebはその「常識的」から「非常識的」に移行する時間が、ゼロだと語る。

確かに言われてみるとWebで拡散されやすいものは、移行する時間がゼロのものが多い。否、Webに限らず、最近の漫画やラノベのタイトルにも顕著に出ている。「〜だと思ったら、〜だった件。」というように、題目からしてすでに「常識的」から「非常識的」に移行した作品に馴染みがあるだろう。

著者はその理由として「情報がひしめき合っているネットでは、ユーザーはオチまで待ってくれません。そのため、タイトルや表紙から違和感を出さないと、無視されてしまいます。」と述べている。正確な考察にも感じるが、果たしてそれだけだろうか。

谷口氏は「外的な、情報の量」に着眼しているが、「内的な、思考や精神」についてはどうか。ユーザーにはコンテンツを追体験する思考体力や精神的余裕が、残されてはいないのではないだろうか。コンテンツに入る労力を、かけたくないのである。

これは「外的な、情報の量」と表裏一体だ。情報が多いから、考えられないという主張も分からなくもないが、考えたくないから、情報を増やしているとも言える。言葉を変えれば、瞬発的に生きていたい。だから「非常識的」を早く提示してほしい。

コンテンツはユーザーの思考体力や精神的余裕に依存し、左右されている。考えたり不安になる時間は、消えているのだ。

きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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吉澤 馨
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