毎日

おはようございます。きょうも書いていきます。

この数日、きょうを待っていた。noteの毎日更新をつづけて、365日目を迎える。そしてきょうをもって、一度、毎日の更新を止めようと思う。

思えばこの更新は、過去への贖罪を含んでいた。いつか書いたが、社会人一年目のとき、毎日コピーを書けという先輩の教えに背き、その罰を試験で食らった自分への贖罪であった。

一年書くとどうなるのか、というのを、知りたかった。結果として、特に変わったことはない。きょうも過ぎるし、あしたも平然と過ぎてゆく。ただ、毎日は過ぎる、というのを知るだけだった。

朝早く起きるようになった。はじめのうち、実際に更新をはじめたのは2018年の7月7日で、そのころは書き上がるのが深夜になることも多く、「毎日」とはならなかった。対策として、早起きをはじめた。5時半からはじめて、いまは4時だ。病みつきになる。

ニュースを読むようになった。自分のことだけでは到底足らず、社会で何が起きているのかを気にするようになった。書く気持ちになる、メディアやキュレーターを、フォローするようになった。最近は新聞をとりはじめた。

文章と言語の勉強をした。文章に関する本を毎日すこしずつ読んだ。また英語と中国語と日本語を勉強しなおした。いずれも、文や言語とは何かというのを、もう一度学ばないことには、進まない気がしたからだ。

結局、小学生や中学生になったのである。朝早く起きて、ニュースを見て、勉強をする。なんだ、こんなことをやっていたのかと思う。こんなことすらやれてなかったのかと思う。

あんなに親や教師から言われていたのに(言われていたか?という疑問も湧く)、まったくできなかった。何がきっかけになるか、わからないものである。

これを美談やハウツーに仕立てるつもりはない。そういうのは大嫌いだ。だから、ほんの些細な、ある人間の日常として、ここに記しておく。

今日も読んでくださってありがとうございました。よい一日をおすごしください。

サポートありがとうございます。