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×SNS

×SNS

テラスハウスの一件は、SNSの問題ではない。

まずはじめに断っておくと、僕は件の内容について、ニュース以上のことを知らない。テラスハウスを観たことがないので、リアルタイムで何が起き、人々がどう反応していたかも大して知らない。しかし違和感を持ったので、ここに書き記しておく。

彼女の自殺は、SNSでの誹謗中傷が原因であるとされた。そこから、個人を特定できる仕組みがSNSに必要であるとか、そういう議

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政治家

政治家

しっかりとやっていきたい、○○一丸となって(もしくは一枚岩となって)がんばっていきたい、そういった言葉を、耳にする機会があるだろう。○○の部分は、国民でも、社員でもいい。この文章は、そのような表現に疑問を持つ人に向け、書いている。なぜあれらの言葉は、これほどまでに説得力を持たぬのか。それは具体性を欠いているからに他ならない。

「しっかりと」の「しっかり」は、実際どのくらいの程度を指しているのか分

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ご近所

ご近所

近所の古いマンションの入り口に、鉢に入った花が並べてある。大小様々で色あざやかなものもあれば、なんてことはない、地味な印象のものもある。その花々を毎朝、白髪の老婦人が世話している。婦人の背中は張っていて、しかし、まっすぐ天に向かって伸びているというわけではなく、しなやかな枝のように緩やかな弧を描きながら、でも伸びている。たまに会釈をする。

先日急いで家に帰ることがあった。注意が逸れていたので、こ

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相手に言葉を伝えるには

この文章は、自分の言葉が相手に伝わるようにしたい人に、読んでほしい。

さて普段、僕らは相手と言葉を使って、暮らしている。それは対面の会話、LINE、職場の文書、チャットなど、さまざまな場面やデバイスやツールで、使用されている。しかしながら、その内容の精度について、語られることは少ない。実際には多くの言葉が、相手に意味不明な状態で、伝わっている。

たとえば、きのうの友人とのチャットや、ネットに流

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都合のいい文化

都合のいい文化

おはようございます。きょうも書いていきます。

文化という言葉は、都合のいい言葉だと思う。文化が合わない、文化が違うという会話を、した経験は無いだろうか。カルチャーマッチといえば、更に親しいかもしれない。いずれにせよ、文化というある基準に則したときに、それに合う合わない、といった判断する行為を指している。

これがいつからか傲慢な態度のように感じるようになった。なぜはじめから規定のものがあって、そ

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なにをつくっているのか

なにをつくっているのか

おはようございます。今週も書いていきます。

情報の伝達と、感情の伝達というのは異なる。最近YouTubeを編集しているなかで、そのことに気がついた。いま多くの人は情報の伝達を求めている。それは「ながら」で観られることで、すぐに分かることで、真似がしやすいことである。情報の伝達には、まず「どうやるのか」を伝える必要がある。

たとえば、この記事のタイトルを「noteの記事のPV数を増やすには」とか

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幻想

幻想

おはようございます。今週も書いていきます。

東京オリンピック・パラリンピックが延期になって、なにかがガタガタっと音を立て、崩れた感じがある。同日、東京都のコロナの感染者数の発表が、一気に増えたのも、偶然ではないだろう。幻想というものが崩れた音だったのではないか。

思えばこの数年、日本人は「オリンピックまでは」という想いを、どこかで抱いていたように感じる。何かを節目にすることで、意思決定を行いや

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フラットの相方

フラットの相方

おはようございます。今週も書いていきます。

ある人と話していて、信念がないとフラットにならないんです。という言葉をもらった。瞬間、ハッとさせられたのだが、そのときは、すぐに言語化ができなかったので、この場を借りて考えてみたい。

フラットな考え方、ものの見方、というのは一見すると、フェアーであり、ニュートラルであるように感じる。「みんなちがって、みんないい。(金子みすゞ『わたしと小鳥とすずと』)

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矢印

矢印

おはようございます。今週も書いていきます。

みんなでとか、みんなでなかよく、という表現が嫌いだ。融合を好む人に、苦手意識を感じる。一方で、共同体とか相互補完関係のような言い回しに、一応の重要さを感じるのはなぜだろうか。他人と自分の関係とは、どういう状態が僕にとって理想なのか、考えてみたい。

ここに矢印があるとする。その矢印が自分から相手に向かって伸びている、もしくは相手から自分に向かって伸びて

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ではない何か

ではない何か

おはようございます。きょうも書いていきます。

2010年代は「何者」や「推し」という言葉が、流行していたように感じる。これは「何者かになりたい」「私の推しは」のように、自らを抽象化する、もしくは自分とは別の具体的な事物に、自らの人格を重ねる行為であると、僕は認識している。

たとえばTwitterのプロフィール欄に「○○ニスト」とか「○○屋」の様な表現を入れる人が少なくなかった。これは「何者」で

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理性のアプローチ

理性のアプローチ

おはようございます。きょうも書いていきます。

僕は働くとき、おなじチームやプロジェクトのメンバーに感情を真っ先に、あらわしてきた。それが彼女彼らの成長に、つながると考えていたからだ。でもそれは成果には繋がっても成長には繋がりにくいのではないかと、最近思い直している。

たとえば、同じチームのメンバーが、よい仕事をしたとする。それに対して「うれしい!」と表現するのは、感情のアプローチだ。受け取った

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馬鹿

おはようございます。きょうも書いていきます。

「メディアに出ると馬鹿になる。」これは僕が新入社員の頃、トレーナーが漏らしていた言葉だ。この意味がずっと解らなくて、10年と少し経った今、ようやく解りかけている。

きっかけは、脳科学者の茂木さんの「ポジション」と「パフォーマンス」の話を聞いたことだった。茂木さんは「ポジション」を「その人が今どんな扱いを受けるか」とする。「パフォーマンス」を「その人

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動物の声

動物の声

おはようございます。きょうも書いていきます。

「エモい」や「モヤモヤ」が、セイウチの咆哮やオットセイの求愛の声に、聞こえたことは無いだろうか。ちなみに、僕は元の声を聞いたことがない。しかし、聞こえるのだ。「エモくない?」や「モヤっとする」を連呼する人の前に立つと、これは動物の鳴き声ではないか、と感じる。

言葉は、その時々の人たちが持つ感情や感覚に、名前をつけた証だ。すでにわかっている感情や感覚

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考える力

考える力

おはようございます。きょうも書いていきます。

考える力とは何だろうと考えていた。それと昨今の文字離れ、動画の隆盛の話が交わる。考える力とは、抽象的な表現を創り出す力ではないだろうか。またそれを読み解く力ではないか。

受け手が文字を支持していた時代、考える力は、小説家や哲学者にあった。それは受け手が抽象的な表現を介して、自らの頭で具体的な事象に辿り着くことが可能だったからである。しかしやがて能力

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