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耐え難いもののゆくえ――金子光晴『絶望の精神史』

肉体は、それに条件を与えている一遊星の悲劇を背負ったものだ。精神にいたっては悲劇以上だ。

金子光晴『人間の悲劇』序

 気づけば今年もあとひと月しないうちに終わってしまう。相も変わらずメディアを通して垂れ流される映像と、SNS上に累々と散らばっている言葉オピニオン――それら複合体が形作るクリシェは、つねに耐え難いものとして眼に映る。しかし当然のことだが、戦争や重大な事件であれ、経済的な危機と破局であれ、その大半は種々のメディアを通すことによって以外には何事も知りえないだろう。決して慣れ切ってしまうことのない耐え難いものは、報道される出来事それ自体だけではなく、いわばその出来事の(映像と言葉による)表現にこそ見出される。いずれにしろ、こうして耐え難いものは絶えず私たちの眼前にある。とうてい、逃げられやしない……?


 戦時中、狭苦しく閉ざされた孤島の日本を彷徨いながら、どこへ行こうと行き当ってしまう海を前にして一人の詩人は思う――「とうてい、逃げられやしない」。金子光晴は『絶望の精神史』(講談社文芸文庫/原著1965年)で、近代日本に生きた金子と周囲の人々の絶望のあり様を描き出すことによって、西洋列強の影響下で近代化を進める明治の時代から昭和の戦争と敗戦へと雪崩れ込んで行く日本の歴史を浮かび上がらせる。むろん彼らの絶望は時と場合によってそれぞれ異なる「症状」をしていたのだが、同時に彼らは近代日本の絶望を背負っていたに違いない、と金子は言う。

 一つの時代を生きざるをえない人々の精神的なあり様は、個々人それぞれその時代の趨勢に左右される。近代日本を生きた人々が直面した絶望――それは、よく知られているように、長年鎖国していた東洋の孤島が、西洋列強の煽りを受けて急速な近代化の流れの中に飲み込まれることによって生じたものだ。一方には西洋由来の物質文明と抱き合わせになった精神文化があり、もう一方には古くから続く日本の因習的な文化が根強く残っている。そして、時局が不安定になるにしたがって、西洋列強と肩を並べるべく進められてきた対外への帝国主義的な側面と、孤絶した地理的条件の下に長く養われてきた因習的でナショナルな側面(「ふるい時代の亡霊」)とが、からみ合い組み合わされることによって破局的な事態が生じた。

 金子がその破局へと向かう兆しを嗅ぎ取らざるをえなかったのは、関東大震災が起こった(もちろん、その直後に国内で起きた陰惨な虐殺事件も含まれる)大正時代においてだった。これまで不動のものと思われていた「大地」とともに、様々な価値観が根底から揺さぶられる。大正は、急速な近代化の流れに飲み込まれた明治と、破局的な事態に一挙に雪崩れ込む昭和との狭間で揺れている時代だった。一見すると安定した近代の衣装をまとってはいるが、それが見せかけのものにすぎないことが如実に露呈していく時代であったとも言える。金子は、当時の人々の精神的帰趨をこう書いている――震災が起きた《瞬間の絶望感はふかく人びとの心にのこり》、その結果、西欧の精神文化に由来する「大正のヒューマニズム」のほかに《大正のニヒリズムが一つの特徴化され、それがしだいに、大衆のあいだに浸潤してゆくことになった》(p.122)。


 関東大震災に前後して、金子光晴が、ヨーロッパを皮切りに中国、そしてシンガポールやマレー半島をはじめとした東南アジアの国々へ放浪の旅を長年に渡って繰り返していたことは有名だろう。この放浪の経験が、金子の、日本においても「エトランゼ」として生きる構えを熟成させた。しかし、忘れてはならないのは、金子の「エトランゼ」としての振る舞いには、つねに「二重になった絶望」の影が差していることだ。金子が見出す「二重になった絶望」とは、言うまでもなく、「日本」と「西洋」とのそれぞれに由来する絶望のことである。

大正の移入文化の浅さと、みにくさを感じるにつけ、古い日本の文化が、旅寝の夢に僕を誘ったものだ。しかし、その美しい世界は、故国に帰っても、もはや滅びて得られないものであった。この二重になった絶望を、ただ絶望として受け取るには、僕はまだ、血気ある若者でありすぎた。僕は、不遜にも、西洋の模倣でない、新しい日本の芸術を、この身をもって作り出してみることが、必ずしも不可能なことではないとおもいこんだ。〔…〕美神は、そんな驕慢なナルシストに対して寛大でありえようはずはなかった。この問題は、その後のながい僕の生涯に悲劇をからませ、日本の国策や戦争の悲惨などとはべつに、絶望につづく絶望の変転史をくりひろげることになるのである。そして、それは、いまも続いている。

p.111–2

 上記の引用文中、金子は、この「絶望につづく絶望の変転史」が「日本の国策や戦争の悲惨などとはべつ」の問題であると断っている。しかし、彼の絶望が、西洋の影響を被らざるをえなかった日本近代に生きた自身に由来する以上、それをただ単に「芸術」上の問題としてのみ留め置くことはできない。むしろ、芸術的な(文化的な)もののあり方こそが、その時代の政治的な刻印を最も如実に示すものになり得るのだから。引用した文章のすぐ前にある金子自身の言い方を借りれば、その絶望は「文学上の絶望にとどまっている」だけではいられないのである。

 一方には、明治以降一挙に押し寄せてきた「西洋」の文化がある。日本がいくらその文化を次から次に取り込もうとも、それらは粗雑な「首尾ととのわぬ仮衣装のうわっつらの文化」にしか見えない。もう一方には、近代化の影響ですっかり滅びてしまった、「幻想的な美しさ」を纏った古い「日本」の文化がある。その美の下には、あの「ふるい時代の亡霊」が隠れている。つまり、金子の「二重になった絶望」とは、「西洋」の文化に染まりきることのできない不可能性によって生まれた絶望と、だからと言ってすでに滅びてしまった「日本」への想像的な「回帰」に居直ることもできない不可能性によって生まれた絶望のことだ。

 時代が不安定になるにしたがって、こうした文化的な装いは一挙にグロテスクな政治的諸相を露呈する。東南アジアを旅した金子は、資本の流れに従って植民地の収奪を繰り返す「西洋」の、帝国主義的な側面を過剰に意識せずにはいられない。さらにまた、想像的な「日本への回帰」は、長い間閉ざされた孤島が醸成してきた因習的な「ふるい時代の亡霊」のナショナリズムに捕獲されることを意味する。どちらの側に就こうとも、眼前には絶望の壁が立ち現れる。しかし、金子にとって何よりも耐え難いのは、「二重になった絶望」によって行き場を塞がれたこうした不安定な宙づり状態が、容易に時代の破局の中へ飲み込まれて行ってしまうことだ。「エトランゼ」として生きる金子は、この危うさに自覚的だった。そして、それこそが、「二重になった絶望」を見出しながら、戦時下のこの孤島で「とうてい、逃げられやしない」と呟いた金子自身の絶望の様相に他ならない。


 金子光晴が描き出した近代日本の絶望は、一見すると、現代を生きる私たちにとって無縁なものに思える。ここで延々と書いてきた近代特有の「日本」と「西洋」の相剋など、個人ひとりひとりが日常生活を過ごす中で、ほとんど意識にのぼってこないものだろう。しかし、近代日本を生き延びて研ぎ澄まされた金子の嗅覚は、この本が発表された戦後二十年の当時において、後の時代の絶望の萌芽をすでに嗅ぎ取っていた。経済的かつ技術的な発展によって世界全体がますます均質化し、またその発展によって「うまくいっているらしい」当時の日本について簡潔に書きながら、金子はこう指摘する――《同時に、ばらばらになってゆく個人個人は、そのよそよそしさに耐えられなく》なり、《彼らは、何か信仰するもの、命令するものをさがすことによって、その孤立の苦しみから逃避しようとする》だろう、と。そして、《一度も絶望をした覚えのない彼らが、この狭い日本で、はたして何を見つけるだろうか》、それが《〔近代の〕日本人が選んだものと、同じ誘引ではないと、だれが断定できよう》、と(p.187)。

 たしかに、現在の情勢の下で思考する際に、「日本」や「西洋」という概念を持ち出して、それだけで事態を説明しようとすることなど不可能だろう。そして、現代からすれば、もはや「近代日本」は「ふるい時代の亡霊」になっているかのようだ。しかし、人間が生きるところに絶望がある限り「亡霊」は決して消え去ることはない。つまり、現代においても、金子が人々の絶望を描き出すことで浮かび上がらせた近代日本の歴史は、過ぎ去ってしまったものにはなっていないのだ。それどころか、表層を目まぐるしく取り換えてはいるが、その本質においてはほとんど変わることなく、まるで「亡霊」のように現在へと回帰し反復している。歴史とは、本来そのような幾度も回帰しては反復する「亡霊」にとり憑かれたものではないか。たとえいつの時代のどこに産み落とされようとも、そのような「亡霊」との「くされ縁」とは無縁ではいられないことを、金子の筆は否応なく私たちに教える。


 資本の流れが不可欠なものとする帝国主義的な収奪と、ナショナルなものへの想像的な回帰――近代が生み出した「亡霊」は、現代においても文化的な装いの下、至るところに忍び込んでいる。しかし、同時に、もともと不安定な見せかけの均衡が破れてしまえば、それらは剥き出しの姿で私たちの眼前に立ち現れる。かつて金子が「二重になった絶望」に行き手を阻まれたように、私たちもまた、そのどちらにも与することができず宙吊りにされている。そして、私のものではない誰かの絶望が、絶え間なく見世物として曝され続けている現状は、何よりも耐え難いものだ。軽々しく「絶望」などと口に出すことすら、もはや許されないのかもしれない。時代の破局に飲み込まれてしまうことなく、この絶望を見据え続けることが、私たちにはできるだろうか。この絶望に、耐え難いものに強いられて、時代の隘路から抜け出すための創造を行うことが。

帰納法によって、僕は、世界の人間が一枚のヒフでつづいている宿命を知った。

金子光晴『人間の悲劇』No.10

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