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「東大和市変電所跡」1995年(平成7年)に東大和市の戦争を伝える文化財として指定されました。 

生徒さんが作品に取りかかる前に何を描くのかを
話し合う時間を設けています。
・こんなに素敵な風景を、こんなにかわいいペットを絵にしたい。
・こんなに哀しかった思いを、絵に残しておきたい。
・こんなに嬉しい事を、みんなに伝える為に絵にしたい。
それぞれの想いや感動や想像があって、モチーフは決まって来ます。
そんな想いのこもった生徒さんの作品を、
ご紹介していきたいと思います。                若林 薫


77年前第2次世界大戦の折、軍需工場で働く人々の中に
作者のお父様の姿もありました。
その人達の事を思い浮かべながら3か月を掛けて制作した作品です。

東大和市変電所跡  F30号(91.0×72.7)㎝  アクリル画  YSさん


画面上部には、戦時中の空を想起させる猛禽類もうきんるいの大鷲が飛来し
その影を地上に映し出しています。
それは爆撃機B29の物です。
工場は爆撃や銃撃を受け、
ほとんどを消滅してしまいましたが
変電所は傷だらけになりながらも、
そこに姿をとどめる事が出来ました。

作者のお父様も勤務中のお昼休みには
大好きな野球のキャッチボールをしたのでしょう。
ケヤキと思われる大木の根元に転がるボールが
ありし日の姿として象徴的に描かれています。
今は公園として管理され、
若者達が集う平和な場所となっています。

グレイブボードを楽しむ若者たちの陰と、
変電所や木やボールの陰が逆に描かれているのは、
作者がかなり意図的に仕組んだもののようです。
 
シュールリアリズム超現実主義の手法を用いて、
異なる時間や空間を同一画面に表現する
デペイズマンの考え方を応用しています。
更に段ボールをコラージュはりつけする事で、
視覚的に錯覚してしまう箇所もあります。
アクリル絵の具で丹念に塗り込まれた画面からは、
歴史の重みを感じ取る事が出来ます。
 
東大和変電所は旧日立航空機株式会社の軍需工場として
1938年(昭13年)に軍用機のエンジンを製造する工場として
建設されました。
工場の北西部に建てられたこの変電所は
高圧電線で送られて来た電気の電圧を下げ
各工場に分配する為の設備です。
第2次世界大戦末期になるとアメリカの空爆は
激しさを増し1945年(昭20年)には2月と4月に計3回の空爆で
工場のほとんどは無くなってしまいました。
わずかに残った工場は敗戦後スレートや編物機などの
平和産業に転換し1993年(平成5年)まで操業しました。
その後変電所を含む敷地は同年都立公園として整備された後
1995年(平成7年)に東大和市の
戦争を伝える文化財として指定されました。
    
                   絵画講師 若林 薫 評




「作品をご覧頂きありがとうございました。気に入って頂けましたら、
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よろしくお願い致します!」


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