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多分、前に1歩ずつは進んでいるのだ


「ながみさんと話をすると、何かしら必ず毎月変化があるよね〜。本当にそう感じるよ」

パーソナル編集者™のみずのさんとの月1会合(と私は呼ぶ)で、そう伝えられた。

そんなに私自身毎月毎月、するする進んでいるのか? と思うとそうは感じない。でもまあたしかに、やりたいことはあれこれある。

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パーソナル編集者™のみずのさんは、「この広い世の中で何かを書く、たったひとりのあなたのために、編集者としてそっと寄り添いますよ」というサービスをしている。

この言葉は私がみずのさんから発する言葉を受けとり、私の言葉で書いたものなので、みずのさんの描くサービスへの想いは次に紹介するnoteを読んでほしい。


▼パーソナル編集者™ についてのnote


そこで私がお世話になっているのは何かというと、実はあんまり書くことに伴走してもらうためではなかったりする。主にみずのさんには、ただただお話を聞いてもらっている。

えっ、パーソナル編集者の意味がないじゃん!とか言われそうだけど、私にとってはみずのさんとの時間は、かかりつけのお医者さんに行って、健康チェックという名の茶のみ話をする時間なのだ。

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フリーランスになって圧倒的に苦しかったのは「話す相手がいない」ことだった。
ちなみに私の仕事はインタビューをして記事を執筆することなので、よくよく考えると全く話す相手がいないわけではない。

だけど、「仕事のこんなことやってみたいな〜」「こんなことモヤモヤしているな〜」「どっちの方向に進んでいくのがいいのだろう?」と小さな違和感のカケラはインタビュー相手には話せるものではない。話す相手がいないと、この小さなカケラたちはずっと脳内に溜めるばっかりになってしまう。

会社員時代、ずいぶんと1on1をする時間があった。週に2時間くらいはあったのではないかと思う。自分の上司とはもとより、チームメイトや先輩、後輩とも話す時間があった。

その度にただの悩みとグチを吐き出すのとは異なる、体内の血液がギュンと活性化するさわやかな心地を感じていた。血の巡りって大切なのだ。その時間がなくなってしまってから、血行不良を起こしていた。それはもう、とんでもない代謝の悪さである。

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パーソナル編集者っていうけれど、書く文章を見てもらわなくてもいいのだ。もちろんたまには書く文章を「お茶うけ」にして、あーでもないこーでもないと話すこともある。ただ、私にとってはそれはきっかけにしか過ぎない。

話せる相手がいなくてどんどん血流が悪くなっていくのと、目の前にいつもいるわけではないけれど、話したいと思ったら話せる相手がいることがどんなに違うって。それはお守りをもって行動している自分とそうでない自分のようなものだと思う。

いつでも話せる相手がいる、そういう安心感がきっと私のやる気を引き出してくれて、楽しそうだなということを楽しめるようにしてくれて、多分一歩ずつ前に向いて歩いているのかもしれない。



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