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時間という幻

「時間」
この当たり前に存在している当たり前のもの。
それでも「時間」を見たことのある人は決していません。
「時間」を見たことがありますか?

「時間」は日常的に、ごく普通に私たちの側にありながら、その存在を
きちんと確かめたことのないものでもあります。

     「時間」は存在しません。

でも毎朝7時には起きるし、夜8時には好きなテレビ番組もある。
明日10時には人と会う約束があるしって声が聞こえてきます。
そうです。この世界で生活するのに、時間は概念として、道具として、
便利なアイテムとして使っていいのです。
その意味では時間はあっていいのです。

ただし、あくまでもそれは生活するするのに便利だというだけで、
「時間は実在する」という真理なわけではありません。
動画共有サイトなどで動画を作成している人は、気がつく人もいるかも
しれませんが、一見動きに見える動画も、一コマ一コマの静止した画像を
一定のスピードで表示させているだけです。
どんなに細く動画を刻んでも、そこに動き=時間は見えてこないのです。
人の五感の錯覚が、止まっている画を動きに見せているだけです。

人生において、この「時間」の存在を信じるていることには
とても大きなリスクや障害があります。
なかでも大きな間違いは、何かを「待つ」ことです。
人が人生に求める「幸せ」「豊かさ」は、決して待つことで、
努力や修行の結果で得られるものではありません。
子供は大人になるまで待つことがあります。次の仕事の休みまで
旅行を待つこともあります。試験の結果は発表の日まで待つしかありません
そういった待つことは、先に述べたこの世界の生活における、
概念や道具として存在する時間の一部です。
この世界で生活するうえで、それはあっていいのです。

しかしながら、時間は真実ではありません
幸せも豊かさも、今あるか、ないかです。
今にないものは、未来に行ってもありません。
もちろん過去にもなかったでしょう。過去も未来も存在しないからです。
先に行けば、未来には必ず、いつか手に入ると思うのは、
時間に騙されているのです。
「時間」などありません。あるのはいつも「今」だけです。
過去のある時を思い出しているのは「今」です。
未来のその時も、経験するのはその時の「今」です。
何か出来事が起こるのも、何かに気づくことも常に「今」なのです。
「今」というのは時間ではありません。

それは「点」というものに似ています。
点は正確に言えばあるけどないのです。どういうことでしょうか?
点は面積が少しでもあればそれは点ではなくなってしまいます。
ところが点は必ず存在しています。
なければどうやって紙に線を引くのでしょうか。
線は点の集まりだとも言えるからです。

「今」も同様です。「今」は必ず存在していますが、
同時にそれは瞬間であり、過去や未来に広がりが全くありません。
インドでは「同じガンジスに入ることは出来ない」という
諺のようなものがあります。
ガンジス川は常に流れ移り変わっています。
それは同じところに決して留まることはありません。

時間はなく「今」という永遠がここにあるだけなのです。
「何かを待つ」ことをやめた時、概念やイメージではない、本当に存在する「今の瞬間を生きる」ということの意味を知ることが出来るのです。

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