【妊娠4か月】過去の私の呪縛〜私の半生日記〜②


母が大好きだった私は常に祖母を敵対していました。

ですが、今考えれば、祖母の言うことも一理わかります。

当時、母は宗教に心酔していたから、周りが見えておらず、とにかくすがるような思いだったのだと思います。

 

宗教については、家族ぐるみで信仰していました。・・・というか、幼い私たちには意志はなく、姉も私も強制的にやらされていました。

 

母が信仰しだしたのは、その前にマルチ商法(アムウェイ)を始めたことがきっかけでした。

 

ご存じの方もいると思いますが、今では昔のむごさを知らない若い人達がこぞってやっています。

 

※あくまで私の家族に起きた現実の話だけをしたいと思いますので、

アムウェイがダメだとかそんな事を言うつもりも、否定するつもりもありません。

 

母がアムウェイを知ったきっかけは、私が幼稚園の時のママ友でした。

母はあまり人付き合いが上手くなく、ママ友というのも居ませんでしたし、当時幼稚園児だった私ですら分かるくらい

人と距離をとって生活していました。

 

母は、栄養士として仕事をしていましたが、やはり人間関係の悩みから職が続かず、今と違って子育て中に仕事をするのも厳しく

月に2回ある料理教室だけが唯一の仕事でした。

 

一度、祖母(父方)に私を預けた時に、祖母が当時3,4歳の私に“あんな母親はけしからん。親ではない”

などと母の悪口をめちゃくちゃ言っていた記憶があります。

母はその後高額であっただろう託児所に私を何度か預けていました。

 

母はきっと自分の居場所をずっと探していたんだと思います。

 

だからこそ、母がアムウェイを始めた時も、宗教をしていた時も

何かに執りつかれたように夢中になってやっていたように思います。

(私もまったく同じように、執りつかれたようにこの2年過ごしてきました。。。やはり遺伝でしょうか。。)

 

 

アムウェイをしている時の母はとても生き生きとしていて、そんな母が好きだったので

私も母の力になりたいと、一緒に手伝ったりしていました。

 

 

ですが。。。そんな中、母のリウマチが発覚。

ただでさえ、手指が自由に動かせなくなるなんてすごくストレスなのに

料理人からすれば、どれだけ辛かっただろうと思います。

 

今でこそ、リウマチの薬が開発され、特効薬があり、さまざまな補助が受けられますが、

当時は特効薬もなく、痛み止めくらいしかなかったのです。

 

そこから母はだんだん、今で言えばうつ病のような症状が出てきて、寝込むことが増えました。

そんな折にアムウェイの知り合いから“手かざしで病気が治る”と教えてもらい、

宗教を始めたのです。

 

※この宗教もまだ存在するので、良いとか悪いとかいうつもりはありません。

あくまで、実際に私の家族に起こった話です。

 

そこからの母は言うまでもなく、信仰に明け暮れました。

父も姉も私もそれに連れられて、毎日、近所にある道場に通い、毎月一回静岡にある総本山にお参りする、

という生活が何年も続きました。

 

当時小学生だった私は、信仰心と言うよりも静岡まで行くことが家族旅行のようで楽しかった記憶があります。

父と母はあまり仲が良くなく、普段の生活では会話と言えば喧嘩くらいでしたが、静岡に行く時だけは家族らしく過ごすことが出来たので、私はそれだけで幸せでした。

 

しかし、そんな期間は長くは続かず、母の病状はどんどん悪くなっていきました。

それと共に、私は母に手術をさせなかった宗教に対して嫌悪感を抱くようになり、

中学に上がる頃には信仰から遠ざかるようになりました。

 

“中学でのいじめと反抗期”へつづく

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