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【妊娠4ヶ月】過去の私の呪縛〜私の半生日記〜③

前回の話はこちら

 

 

中学に進学した私に立ちはだかったのは
“いじめ”でした。

小学校でも少なからず無視をしたり、されたりと言ったような事はありましたが、

それはあくまで子供の頃のことで、すぐに仲直りしたりしていました。

 

私の中学は当時から不良が多く、ヤンチャで有名な中学でした。

子供の頃から読書が好きで、勉強が好きだった私は、本当は私立の中学に進学したかったのですが、

母の治療費や姉が中学受験を失敗したことで、私は私立受験を受けさせてもらえませんでした。

 

この時の事は今でも大泣きした記憶があります。

ちなみに、高校進学も、姉が受験に失敗して私立に通っていたので、私は絶対に私立には通わせることが出来ないと言われ、

必死に勉強して、公立の進学校に進学しました。。。

生まれた順番で自由が左右されるなんてずるい、と悔しくて悔しくて姉を恨みました。

 

それもあってか、姉妹仲は悪かったです。そして今は父も姉も絶縁状態です。

 

 

中学に入ったころの私は165㎝ほどと背が高く、髪型はベリーショート。

このことが原因わかりませんが、クラスの男子全員から、無視され、廊下を通る度に

“きっしょ”(きもい、気もち悪い、という意味です。)と言われていました。

 

当時の担任にも相談し、母にも何度も相談しました。

担任も話は聞いてくれましたが、あまり効果はなく、中学を卒業するまで廊下を通る度言われ続けました。

 

この頃の母は、家で寝ていることが増え、

相談をした時も「いじめられる側にも何かしら原因があるんだよ」と言われました。

今でこそ、その意味は理解できますし、その原因をきちんと把握していれば、30半ばになるまで

誰にも言わず、がんじがらめな子供っぽい大人にはなっていなかったでしょう。笑

 

 

ですが当時の私には到底受け入れることが出来ず、その現実から逃げるように部活に明け暮れました。

 

小さい頃から歌うことが好きで、3歳からエレクトーンを習っていた私は、迷わず吹奏楽部に入りました。

部活で楽器を吹いている時だけは、すべてを忘れることが出来ました。

毎日毎日狂ったように楽器を吹き、見る見る上達していくのが楽しくて、音楽だけが私の救いでした。

 

そのエレクトーンもすべてのカリキュラムが終了し、プロを目指すか、それとも講師になるか、という選択をする段階に来ていました。

コンクールや発表会に出ることで、他のプレイヤーと明らかな差を見せつけられていた私は、自分には才能がないからプロなんて到底無理。

そして講師になるのも、当時のヤマハの講師の給料と不安定さを子供ながらに理解していたので、選択肢にはなかった。

 

だけど、どんな形でも、何としても音楽に携わりたい!

 

そこで私は、エレクトーン仲間に相談してPA(音響)の仕事を知り、高校進学ではなく東京の音響エンジニアの専門学校に行きたいと

自分で資料を取り寄せました。

 

今思っても、ここまでの行動力は我ながらあっぱれだと思います。

 

中学3年の夏前だったと思います。

 

当時の母は入退院を繰り返しており、言わば、もう治療の仕様がない、といった状況でした。

夏前ごろはちょうど家で過ごしていた頃で、二階に上がれない母のために自宅の一階の和室に簡易ベットを置き、そこで母は一日を過ごしていました。

 

 

母にパンプレットを見せ、エンジニアとして音楽に携わりたい事を伝えました。

当然応援してくれるだろうと私は思っていました。

それは、母が誰よりも私のエレクトーンを応援してくれて、音楽好きな私の事をいつも励ましてくれていたからです。

 

ですが、答えはNOでした。。。。

 

母は泣きながら「高校だけは行ってほしい。普通科に」と言ったのです。

 

ショックでした・・・・・

 

今思えば、母の時代は学歴社会で、母自身も就職に苦労したからこそ、私の事を思って言ってくれたのだと思います。

でも、当時の私も子供なりに悩み、苦しみ、出した結論だった。

だから正直母には応援してほしかった。それだけに何とも言えない悲しみが込み上げてきた事は今でも忘れません。

 

 

だからこそ、高校に入ってからも吹奏楽だけが続けたい!と母に伝え、母も快諾してくれました。

その時は母が死ぬなんて考えてもいなかったし、母の死がその後の私の人生に大きく影響するなんて想像もできなかったから。。。。

(結局、高校で部活をすることはありませんでした。。。)

 

 

そこから私は狂ったように勉強しました。

エレクトーンも続けたかったので、受験が終わるまでは休むことで了承してもらいました。

志望校は、母の望む大学進学率が高く進学校で、尚且つ吹奏楽も盛んな高校に選びました。

私の学力では少し足らなかったので、近くで一番安い塾を自分で探して、体験も一人で行って(私以外は親と一緒に来てましたがw)

塾で志望校のコースに入り猛勉強しました。

 

その頃の私は、もう母を泣かせたくない一心で母に笑って欲しくて勉強を頑張っていたと思います。

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