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デザイナーになりました。


デザイナーになりました。
デザイナーになれました。

デザイナーになりたい、デザイナーになろうと思ってから、ずっとずっと不安で不安定で仕方なかった。

「今のままでは自分はデザイナーになれない」
「自分の努力がどう考えても足りない、絶対量をまずこなしていない」そんな事を言いながら、下北沢でめそめそ泣いていた時に「大丈夫」という言葉をくれた人、

どんなキャリアプランを描くか迷って決めかねていた時に「もし一度それを手放してしまったとしても、本当にすきだったらきっともう一度自分のところに返ってくるよ」と教えてくれた人、

「すごく、すごく難しいかもしれないけど、デザイナーになりたいんです」と勇気を出して伝えたら、「やまちゃんがなりたいって思うんだったら、デザイナーでもなんでも絶対になれるんだよ」と当たり前のように言ってくれた人、

そういう大切な人たちの言葉を何度も何度も心の中で繰り返しながら、毎週毎週、デザインスクールまでの渋谷の道玄坂の道を歩いてた。

どうしてデザイナーを目指すだけで、こんなにギリギリのメンタルの戦いをしてるんだろう?って思う人もいるかもしれないけど、

デザイナーを志す過程で意を決してかなり待遇を下げて職場を変え(でも残念ながら、私はその場に馴染むことができないという人生初めての経験をした)、一人暮らしを辞めて実家に戻った事は、私にとっては十分に不安定になる要因だった。

さらに未経験でのデザイナー就職が、それこそデザインスクールの広告で描かれているような「分かりやすく明るいものではない」事を一応業界人として知っていた事も不安に拍車を掛けたのだと思う。

この場で前職を悪くいうつもりは全くないけれど、
私は前職でデザイナーになり、むしろデザイナーになれるものなら本社(西日本)への引越も厭わないくらいの気持ちだったので、それは難しいと自分で結論づけてからは、誰の言葉も耳に入らないくらいには落ち込んでいた。(一応補足しておくと、厳密に言うとデザイナーになる為の道も用意していただけたんだけど、最終的には私がそれは自分の歩みたいキャリアとは異なると思い、デザイナーとして就職できる会社を探した形です)



こんなにネガティブな気持ちでデザイナーを目指した人はもしかして世界中に私だけなのでは?笑
と思うけれど、これは私による私の人生を懸けた闘いでもあった。それを分かっていたから絶対に勝ちたかった。

受験や就活の時とか誰しも思ったことがあると思うんだけど、「まあ、私はこの辺かな」みたいな、自分で自分の能力の限界を決めてそこから逆算して自分の人生を決めて、その癖「何か物足りない」と半年にいっぺんくらい鬱々する、みたいなそういう自分の人生をもうやめたい、そんなの嫌だと思って、

でもそこから抜け出すためには、自分で決めた限界地点を突破して、自分の想像範疇にある運命を変える必要があるんだって、だから私はデザイナーになれないと思ってるけど、でもデザイナーになるための行動をするんだ、という結論に至った。

この気持ちを認める事自体が私にとってはとても苦しかった。だって今まで自分のやりたい事で生きてきたし、それで仕事も選んできたつもりだったのに、1番てっぺんを自分で見ないようにしてた事に自覚的にならなければならなかったから。

大学の時に本屋さんで広告制作のデザイナーさん、CD/ADという存在を知って、憧れて、憧れた瞬間無意識に諦めた、それに気づいてしまったから。



でも、それと同時にメンタルやらお金やら社会的体裁はギリギリにしても、「デザイナーになる為の道」を選べる自分の幸福も同じくらいに感じていた。

やっぱりデザインを通して、まだ視覚化領域に達していないものを生み出していくこと、それが誰かとのコミュニケーションになること、自分自身の表現になることは、ただただシンプルに楽しかった。

自分の想像を超えて、出来ることが増えていくことも嬉しかった。

きっとずーーーーーっと何年も前から自分がやってみたかった事をやれていること、ましてや、そこで死ぬほど悔しい気持ちになったことさえ、そんな深度の感情を抱けるほど夢中になれる何かを探していたなとか、そういうポジティブな気持ちに変換された。

あとは仕事をしながら平日に課題をして、土曜日に12時間くらいスクールに籠る日々を過ごして、それが自信に変わったりもしたし、そんな日々だったからこそ友だちに会う時間の尊さを知って、東京台湾(中目黒の餃子屋さん)で「幸せすぎて……」と涙を流して餃子を食べたら友だちに大爆笑されたりした。

まあそんなこんなで感情の起伏でいうと、富士急ハイランドのアトラクション並みの高低差だった(もう乗りたくない)。



デザイナーでの就職口を探していた時は、
実は「メンタルが擦り切れる前に今の時点での自分で受け入れてくださる会社さんを探さなくては……!」というタイムリミットを感じながらの就活で、正直ポートフォリオや作品数も自分の合格点を全く超えてなかった。

そして面接の際に
「あなたの人生本当にそれで大丈夫?」
「なんで今からデザイナーなの?」
とか色々キツめのご質問もいただいて、

そう言われたら1番奥底の気持ちや考えを伝えるしかないから伝えてたんだけど、私そういう時オートモードで勝手に涙声になっちゃうから、横にいたエージェントさんがすごい恐る恐る私の顔を伺ってごめんねって思った(「大丈夫だよ、私あなたが思ってるよりずっと気が強いし頑固だからね」と心の中で思った)。

でもこれは私がデザイナーを志した時に、自分自身で自問自答していた事だったし、そう思われるって思ってたから聞いてくれてむしろ助かったし、その上でそれを聞いてくださった会社さんにも内定をいただけてすごく嬉しかった。

そして自分の作品に対する愛とデザインへの愛、そういうものを伝えられたような気がしていて、そしてそこで仏頂面の人(失礼)とも少し分かり合えたような気もしていて、なんだかんだでそういうのが1番嬉しいよね。

あと、自分が認められない自分の事でも、信じてくれて先行投資してくれる人がいるということも。


多分私がデザイナーとしての入口に立てた理由は、
デザイナーになりたいという気持ちを持ち続けて、その気持ちと行動をある程度継続できた、というシンプルな事だと思う。

デザイナーとして就業開始してからも、自分の想像通りの側面もその逆も然りという感じなんだけど、長くなってきたのとまだまだ始まったばっかりなので、その辺りはまた今度まとめたいなと思います。



そして、途中で書いていたように、人生を懸けての戦いがひと段落してから、自分の歩いているレールだけでなく、自分の人生の風向きが変わった感覚ももてているし、自分という人間のガワは変わらないにしても中身は相当な入れ替えが起こった事も実感してる。

これからというか既にクリエイティブ業界は大きな大きな変革の渦の中にあるから、「これからどうなるか」なんて私は全く分かりませんけれど、まあそれはいつもの事なので、私は私の仕事と人生を進めていこうと思います。

願わくばずっとずっとデザイナーでいたいし、もしそうじゃないにしても(え?)何かを創り続けてはいたいと思う。それが特別でも平凡でも関係ない。


デザイナーを志す過程で結果的にご迷惑をおかけしてしまった方々、ご期待に添えれなかった方々申し訳ないです。
でも、その過程で私を勇気づけてくれた方々、きっと一生忘れられないと思う。

そしてデザイナーになれたことに、心からの祝福をくれた方々、ひとつひとつがとっても、とっても嬉しくて、やっぱり私の人生は幸福がきらきら光っていると思う、というか幸福を散りばめてくれる人が周りにたくさんいすぎている、ありがとう。

本当に本当にまだまだ道半ばで躓いたり、一時停止したり、右往左往したりしてるんだけど、続けていきたいし、忘れそうになっていた事は思い出していきたいと思う。

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