伝承の日本史6 〜ヒボコの渡来

2世紀、辰韓の王子ヒボコの渡来集団が出雲の海岸に。
ヒボコと通訳は大名持と面会。移住の条件として先住の土地を奪わないことと、出雲王国の八重書き(法律)を守ることとした。
が、ヒボコはそれを拒否。よって大名持は出雲や石見、伯耆に住むことを禁じた。
ヒボコはやむなく大磯(豊岡市)付近の広い沼地にで舟を停泊。船上生活をした。
土地が悪かったので、人を指揮して灌漑工事を行なったところ、沼の水が海に出て、肥沃な豊岡盆地ができた。そこに家と田畑を作って住んだ。
播磨国風土記には、ヒボコが開拓したのは但馬の円山川とされているが、間違っている。

ヒボコは豊岡で亡くなり、出石神社に祀られた。

ヒボコ子孫は豪族となり、気比の村にいた子孫がヤマト王国に同調し、銅鐸祭祀を行った。気比神社近くからも4つの銅鐸が出土。

ヒボコ勢力はヤマト支配地で出雲文化圏である播磨に進出しようとした。


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