伝承の日本史2〜 ヤマト葛城に進出の経緯

丹波のアマ王国

アジスキ高彦は8代大名持・八千矛王の長男。
御梶(みかじ)姫を妻として、エンヤ姫、多岐都彦、大屋姫を設けた。
多岐都彦の名前は、祖母多岐都姫(タギリ姫?)の名前に由来している。

大屋姫は徐福と高照姫の子であるイソタケの館に住んだ。イソタケがアマ家の祖。

イソタケは大屋姫と結婚してタカクラジ(高倉下)を生んだ。
その後、イソタケは母の高照姫、秦族とともに丹波へ移住。出雲王の親族である大伴氏の祖・日臣も同行。
丹波に移住したイソタケは指導者となり、海香語山と改称。

→記紀にいう「天」は「海(アマ)」のこと。海部氏。天香語山。

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