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将来の起業を決意した本との出会い

起業家の本から感じた天職のサイン

外務省に入省が決まってから入省までに、運命的な本との出会いがありました。それは、佐々木かをりさんの本でした。当時、日本の女性起業家として、象徴的な存在の方だったと思います。その方の本を読んで、私も将来、自分の名前で働きたい、人生一度切りなので、自分に何ができるか挑戦してみたいと純粋に思いました。

こう書くと将来外務省をやめて起業したいと入省前に思ってしまっていたこことにお世話になった外務省に、とても申し訳ない気持ちになりますが、正直に書きます。一方で、声を大にして言いたいのは、外務省は私にとって素晴らしい職場で、外務省にして頂いた事、そこで出会った方、できた経験、頂いたチャンス、全てに深く深く感謝しています。実際、辞める時は、かなり悩みました。

私は天職研究家でもあります。意義深い仕事の研究の権威であるコロラド州立大学のMichael Steger教授は、天職であるサインとして、次のように言っています。その仕事についている自分を想像してしっくり来たら、それは天職のサインだと。私は佐々木かをりさんの本を読んで、起業に挑戦する自分を想像し、しっくりきたんです。

もちろん、外務省で働く間は、組織に最大限、貢献しようという思いで働きました。実際に毎年受ける業績評価では、いつも最上位クラスの評価をもらっていました。

留学先を探してアメリカへ

私はスペイン語専門職で採用されたので、通常であれば、入省後の海外留学では、スペインに留学します。でも、私は入省前にスペインに3年住んでいたので、スペイン語はかなりできました。さらに、スペインの大学の教育水準は、アメリカやイギリスに比べると低いので、勉強好きな私としては、少しモチベーションに欠けました。そして、どうにかアメリカに留学できないかと考え始めるようになりました。

スペイン語専門職でも、日本に勤務する時は、英語を使う部署に配属になることのほうが多く、スペイン語が既にそれなりにできるのなら、英語を身につけたほうが、外務省にもより貢献できると思いました。そこで、アメリカの大学院で中南米研究を履修すれば、英語もスペイン語も使うだろうし、中南米勤務の際に武器になると思えました。そして、入省前に中南米研究に強いアメリカの大学5校ほど視察旅行に行きました。もちろん、自費です。

体当たりで挑んだ入省1年目

いずれは起業したいと思う野心と、田舎者、専門職で入った劣等感から拍車がかかった負けず嫌いな性格から、入省1年目から成果を出そうとかなりもがきました。

外務省に入る前、私はヤマハ(楽器)に勤めていました。ヤマハはとても良い会社で1年で辞めてしまったことはとても申し訳なく思っています。ヤマハでは、1年目でも即戦力として扱ってもらい、責任の裁量が大きく、やりがいを感じていました。

民間での勤務経験がわずかですがあったので、外務省で働き始めた当初は、責任の裁量が小さいことにかなりストレスを感じました。国の外交政策を決める場所なので、外務省内はもちろん、関係省庁、機関など多くの方や機関と調整する必要があり、入省1年目の私が一人で決められることはごくごく限られているのは当然なのですが、どうしても比較してしまっていました。

私はそれでも、今、私ができることは何かと考え、行動に移していきました。私の起業を決意するきっかけになった佐々木かをりさんが主催する国際女性ビジネス会議にも出席しました。そこで出会った方々と名刺交換し、外務省にして欲しいことがあったら、教えて下さいとメールで聞き取りをしてみました。

あこがれの佐々木かをりさんとも名刺交換することができました。名刺交換した多くの方は民間企業の方で、外務省の名刺を渡すと恐れ多いと言われ、外務省は、一般の方(と書くと語弊があるように聞こえますが、そんな意図は全くありません)からしたら、とても距離があるんだなと感じていました。

私のネットワークキングにかける熱意はここから芽生えたような気がします。私が外務省にいた10年間は、国籍、職業を問わず、自分からコンタクトして本当に多くの方と交流しました

アメリカ留学を主張してみる

専門職は入省2年目から、専門語を勉強するためにその国に2年間留学します。私は前述の通り、ひそかにアメリカ留学をさせてもらいたいと思っており、どうしたら、許可してもらえるか考えていました。そこで、当時私が配属された課の若い上司に相談したところ、企画書を作って人事課に出してみたらと言われました。そこで、私がアメリカに留学したら、外務省にとってどんなメリットがあるかなどを盛り込んだ企画書を書いてみました。1カ月ほどかけて作ったワード10枚の企画書を人事課に出しました。結果は、私はスペイン語専門職なので、アメリカ留学は許可できないとやはり言われました。そう言われた時は、やっぱりなという想いでした。9割型、想像できていた結果ではありましたが、でもやらずに諦めるのとやって諦めるのとでは、納得感が全く違うので、言ってみてよかったです。また、企画書を書けばと提案してくれた上司、それを受け取って読んでくれた人事課にはとても感謝しています。

スペインビジネスクールESADEに留学

私は最終的にバルセロナにあるESADEビジネススクールにMBA留学しました。スペインのビジネススクールは、世界でもトップランクに入り、定評があります。

ESADEは当時、スペイン語と英語のMBAコースを開講しており、私が選んだのはスペイン語のMBAコース。英語のMBAコースには日本人も含めて世界中から学生が来ていました。私が入ったスペイン語コースは半分がスペイン人。半分が中南米出身。スペイン語がペラペラのイタリア人を除いて、スペイン語が母国語ではない学生は私だけでした。それだけでも、クラスメートと比較して、大きなハンディでした。さらに、私は大学の専攻がスペイン語だった、MBAで勉強する科目の予備知識がほとんどありませんでした。そこで、留学中は、人生でこれほど勉強した日々はないと思うほど勉強ばかりしていました。(でもその後、渡英して職業心理学修士を勉強し、MBAより勉強することになりました。)

学校生活はとても楽しかったです。というのも、クラスで唯一のアジア人なので、クラスメートも先生もかなりサポートしてくれました。ある先生は、私だけのための特別授業をしてくれたり、クラスメートはノートを快く貸してくれました。私は、スペイン語しか話さない日々が続き、日本語よりスペイン語のほうがうまいんじゃないかと思えるほどになりました。

MBA留学で実感した起業家マインドの大切さ

私がMBA留学で強く思ったのは、DNAのすごさです。ESADEに留学している中南米出身のクラスメートはみんな、かなりのお金持ち出身。おじいちゃんは元大統領という人もいました。家が大実業家のクラスメートもいて、卒業後、こういったクラスメートは、いとも簡単に母国で起業するんです。

今、自分でイギリスで起業してみて痛感するのは、起業家マインドが起業には、かなり重要だということです。リスクをとれる心、失敗を恐れない姿勢、堂々と自分をPRする自信、先を見る目、それをすぐに行動に移す行動力と人脈、自信から来る交渉能力。こういったマインドがあるのとないのでは、起業を進めるスピードに雲泥の差が出ます。

家が代々事業をしている家庭に育っていると、こんなにすいすい起業できるのかと、彼らのDNAがうらやましく思いました。しかもビジネススクールでの成績が優秀だった人が起業で成功している訳でもないんです。私はMBA留学でも、これまでの私らしく、勉強だけはひたすら頑張りました。ビジネススクール時代は、そこまで勉強しているように見えなかったクラスメートが、卒業後、起業で成功したり、大企業で幹部になっていくのを見て、私は「私は勉強はしたけど、勉強したことを何か具体的な成果につなげることはしなかった。」と思っていました

起業コンペで最終選考に残る

とは言え、将来の起業に自信を持てる成果も出しました。それは、ビジネスクールの2年目の必須科目である起業の授業で、私が出したアイデアで私のチームが起業コンペティションで最終選考に残ったことです。学校があるバルセロナは、日本からの観光客が当時とても多かったのですが、日本人が職場で配れるようなお土産がなく、そこに着想を得ました。

生ハム味やオリーブオイル味のクッキーで1枚1枚包装されていて、きちんと箱に入っているクッキーセットがビジネスアイデアでした。プレミアム感を持たせようと当時、スペインを代表するカリスマシェフだったレストラン・エルブジのフェラン・アドリア氏監修というコンセプトにしました。実際にフェラン氏に近い方にコンタクトして、アドバイスももらいまいた。

私のチームには、元銀行員、エンジニアなどスペイン人3人と私の4人でした。私が、マーケティングとプロダクト開発を担当し、元銀行員のクラスメートが資金面を担当。もう一人がパワーポイントを作り、残りの一人が商品のデザインを担当しました。お互いがお互いの持ち味を出し、とても良いチームワークが組めたことも最終選考に残った要因だと思います。

大学からは、このアイデアを実際に事業にしないかと言われましたが、私が政府からの派遣の身であり、チームメンバーも就職が決まっていたり、関心がなかったりしたので、このアイデアが実現することはありませんでした。

でも、このコンペティションでの成果は私にとって、将来起業する上でとても大きな自信につながりまいした。

MBAではプレゼンとロジカルシンキングも徹底的に訓練されたので、それは、その後の大使館勤務でもとても役立ち、今も、コンサルティングをする上で大きな武器になっています。

ESADEのクラスメートとは今でもつながっていて、彼らとの友情は私の人生の財産になっています。ESADEに行って本当に良かったと思っています。




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