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無色透名祭を、目を凝らして

先週、niconicoで無色透名祭なるお祭りが開催され、たくさんのボカロPさんたちが参加されていましたね。

投稿者が匿名で、動画は白背景に黒文字だけというレギュの中、4000曲以上もの楽曲がniconicoに一斉に投下されました。

私はそこで「どんな感じなんだろう」くらいのノリで、完全リスナー目線でこのお祭りを眺めてみることにしました。

最初にことわっておきます。
みなさんもうご存知かと思いますが、私は動画サイトに自分のオリジナル曲を投稿することに対して概ね否定的です。
楽曲として耳から感動を届け、リスナーから対価が発生することには肯定的です。
楽曲を承認欲求のために無下に扱ったり、広告として扱って広告主から対価が発生するシステムには否定的です。
あくまで自分の曲、自分の方向性、自分の芸術のお話です。みなさんにこの価値観を押し付ける気はありません。また、投げ銭システムも導入されているため『概ね否定的』という言葉を選んでいます。

ただですね、知ってて否定的なのと知らずに否定的なのは違うでしょ、と。
いいと思ったものも、イマイチだと思ったものも、どこがどういうわけでそう思ったのか説明できるようにしておきたいんです。

そんなひねくれた私が無色透名祭(以下、無色)をとぼとぼと歩いてみた、そんな感想です。

まずですね……
このお祭り、楽しみにしてる一般リスナーさんってどれくらいいるんでしょうか?
(ここでは、niconicoやボカロ文化は好きだけど自分で曲を作ったりするほどではない人を一般リスナーと定義します)

これは本当に憶測なんですけど、無色を楽しみにしてるのってボカロPさんばっかりじゃないですか?
もしかしたら私が知らないだけでたくさんいるのかも?!だとしたらすみません。

例えばXなんかで検索をかけてみると、曲のレビューよりも参加します!とか投稿しました!みたいなポストの方が圧倒的に多いんですよね。

ぼかれびゅみたいなタグもありますが、辿ってみるとこちらもやっぱり作る側の感想だったり。

いや、別に否定してる訳じゃないですよ。
ただ、私の知る限りでのお話です。
私が無知なだけで、めちゃめちゃ広大なボカロ文化の一端しか知らずにこんな文章を書いている可能性もありますから。

で、曲も多すぎて全部は聴ききれないわけです。
これに関してはまず弁護もしておきます。

こういう投稿祭って、自由参加なのが魅力のひとつですよね。
運動部で一生懸命練習しても結局大会では補欠……なんて経験ありませんか?
投稿祭にはレギュがあるくらいで、運営による審査等はなく、基本的には誰でも参加可能です。
初心者だから、審査員から見てイマイチな曲だから……といってハジかれることはありません。参加費も要りませんし。こういった壁を取り払っているというのは良い計らいですよね。

しかしこれは弊害もあって、やろうと思えば誰でも有名人ごっこができてしまいます。
極端な話、昨日音楽を始めて昨日完成した曲でも参加できるわけですし、それである程度再生数が均一化するのであれば、すでにキャリアがある層の一部に加われたと錯覚できます。未成年でも飲めるお酒、とでも形容しましょうか。

同時に、巷でなんでオーディションや審査なんてものがあるのかもわかった気がするんです。
リスナーが困るからなんです。

作る側からすると、自分の曲が落選する可能性があるなんてイヤだなぁとか、審査員の主観で決められたくない!という感情が湧き上がるのも当然です。

でもこれはリスナーからするとありがたい措置なのであって。
例えば無色の曲が審査で50曲に絞られているのであれば……どうでしょう?まだ全曲聴いてみようという気になりませんか?数千人のクリエイターが落胆した舞台裏は置いといて……

それを何千曲も聴いて、しかもそれを実行したとSNSでわざわざ書き込むというのは、それ本当に聴きたくて聴いてるの〜??って思っちゃうんですよね。やめなよとは言いませんが、私ははっきり言ってやりたくないです。

個人的には、無色に限らずボカコレでもそうですが、クリエイターの参加人数とリスナーの満足度、それぞれの最大公約数がとうに臨界点を突破しているイベントだなと。

ランダム再生を主軸に置いたり再生数の少ない曲から聴くように促すなどの措置も取られていましたが、常にリスナーファーストでないと当然膨張し、意義をよそに求めていくようになるんだなと、全体を俯瞰して感じました。ただ、クリエイターの権利もしっかり守られているからこその膨張なんですよね。

カルチャー自体の否定ではないんですけどね。『出会い』というコンセプトはとても素敵だなと思いました。匿名にして先入観を取っ払うことでディグる楽しさ・出会えた喜びをダイレクトに味わえますからね。私もこの無色を通じて気になるPさん数人に出会うことができましたし。


それにしても、もっとクリエイターとリスナーが近づくには、個人のおすすめが他人により円滑に届くようにするにはどうすればいいんだろう。
ちょっと考えてみました。

このSNS社会、情報を相手に届けるのってとても簡単なはずなんです。
それが不特定多数相手だとなぜ実現しづらいのか。

この諸悪の根源、実はX(旧Twitter)の『URLを含むポストが表示されにくい』という仕様に他ならないんじゃないかなと。
突き詰めるとこれ。

例えばniconicoで「いい作品見つけた!フォロワーのみんなにも教えてあげよう!」と思って引用しても、インプレッションが伸びないなんてザラです。

このnoteだってそうです。
リポストしてもらえれば有料記事がお買い得になるシステムが取り入れられていますが、そもそもリポスト先での昇順が期待できないってのnoteの運営さんは理解してるのかな。

ただX側としても、URLを含むポストをガンガン上にもってきちゃうとXがただの宣伝横行ツールになって、より不満が高まってしまう……というのは理解してると思うので、ちょうどいい落とし所として「興味ありそうな人には、まあ表示させてあげよっか」くらいにはなっています。

きっと"Kiite Cafe"みたいな場所がこの受け皿となっているんでしょうね。好きな人、興味ある人で固まっちゃった方がいい。この考え方には賛成です。そこで見つけたいいコンテンツをXに持ち込む・持ち出す必要がないくらいに盛り上がっちゃえばいい。
もしくは私がXに居すぎて感覚が麻痺してる(笑)。第二現世みたいに捉えてるからいけない。なんでもすぐ斜に構える。きっとそうですね。


最後になりましたが……

niconico、ひっさしぶりにウロウロしてまして(こう見えて私プレミアム会員です)、ちょっと面白いタグを見つけちゃったんですよ。

『無色透名祭作者不明曲リンク』ってタグ。
今回は第二回なので、Ⅱもあるみたいです。

無色の曲を入稿するときに、のちにネタバレするかどうか(投稿者が自分であることを明らかにするかどうか)を選べるのですが、ネタバレしない方にチェックをいれた作品だけが抽出されます。

私、ここからが本当の無色透名祭だと思うんですよね。

「ネタバラシします!実は〇〇って曲作ったの自分でしたー!!」
「ええー!!びっくり!!」
「そうだと思った!」
「意外!」
「へー!このPさん覚えとこう!」
みたいなやり取り、気持ちいいじゃないですか。思い描くじゃないですか。クリエイターとしては。

視覚情報、先入観を取っ払い、さらに承認欲求までも取っ払ったその先にあるもの。本当に無色で、本当に透明になってしまった。

なぜ自分が作ったと明かさなかったのか。
イベントの一部となれればそれでいい、という考えなのか。
今でも続く「これ〇〇さんじゃないかな?」のような憶測。
それをニヤニヤしながら見るのが悦びなのか。
いろんなことに思いを馳せながら聴いてみると、これまた楽しいですよ。

無償の芸術の行き着く先を見た。そんな気がします。
もしかしたら、現代音楽の最先端はここにあるんじゃないかな。
もしかしたら、ね。

かおりP
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