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不登校中の個人懇談(息子編)

今日は息子の通う、小学校の1学期の個人懇談日。
月日が経って随分図太くなったとはいえ、やっぱりあまり人と合わずに済む、一番初めの時間に設定していただきました。 

今の担任の先生は、理解のあるとても大らかな先生で、〇〇君がいつ来ても教室で受け入れられるようにしています。クラスの子達にも、毎日、欠席者の報告時に〇〇君はお休み、とか、今日は〇〇君の家に行ってきたで、とか色々な話をしています。

相談室からでも、保健室からの登校でも大丈夫です。僕たちは無理じいはせず待っている立場ですので、いつでも要望を言って下さい、と言っていただきました。

また、先月に1度だけ、放課後に担任の先生に会いに行けた日がありました。
5年生は丸ごと1年お休み。
6年生になって、初めて足を学校に踏み入れた日。
その日も、出席扱いになるんですよ、と言って見せてくれた通知簿には、『出席日数 1』とちゃんと記載されていました。(優しい…。)

あとは本人がいつ、バンジー飛ぶぞ!と思うかどうかなんですよねぇ…とか話しながら、相変わらず見通しは全く経たないまま、今回は落ち込むことなく穏やかに懇談を終えることができました。

お忙しい中、いつも息子を気遣ってくれる先生方の存在がすごく有り難いなと思いました。

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不登校当初からずっと、個人懇談が物凄く憂鬱でした。

当時は時々、学校に溜まったプリントをもらいに行くことがありました。校庭に目を向けると、元気な子供達の笑い声が響いています。

どうしてこの中にうちの子はいないのだろう。

どうしてこんな事になってしまったのか。

(ここでも「どうして」、が止まらない。)

毎回帰り道の車の中でだけ、泣きました。

そんなメンタル状態だったので、他の先生やお母さん方と接触することもしんどい。 被害者意識がMAXの時期だったので、学校で会う人は皆(ああ、あの不登校の子のお母さん)と白い目で見られている気がして、ずっと怯えていたのです。

授業も受けていないので、ほぼ白紙の通知簿。
先生と、何の話をしたらいいんだろう。子供はずっと家に籠もっていて、これからの話なんて、何も考えられないのに。

さらに五月雨登校状態だった、小学校4年生の時。3年生の時から比べ、1学期、2学期と、少しずつ登校日が増えていたのですが、実際は期待してくれる先生と親のために、息子は無理を重ねていたのです。
12月の頭には、再び完全に行けなくなりました。

そして12月中旬の個人懇談日。

「お母さん、どうしたんですか。これでは後退しているじゃありませんか。」

今なら先生に悪気はなかったとわかります。この先生も、いつもとても熱心に、息子に寄り添ってくれていました。先生も、せっかく上向いてきていたのに、という気持ちもあったのでしょう。

でも、色々な事に怯えていた当時の私には、この一言がトドメの一撃となってしまったのです。

やっぱり私はダメな親なんだ。

増々誰にも「辛い」と言えなくなったのです。

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今思えば、拗らせた原因は

不登校を深刻に考え過ぎていた
ことと、
周りに差し伸べてくれている手がちゃんとあったのに、受け取ることが出来なかった
ということです。

実際に、私のことを責める人は現れませんでした。自分で自分を責めて、恐れていただけでした。

今は、溜まったプリントは息子の顔が見たいという理由で、先生が自宅に持ってきてくれています。
本来なら親が学校に取りに行ったほうがいいのでしょうが、今は自分のメンタルを保つ方が大事だなと思っているので、先生のご厚意に甘えています。

私は、周りに恵まれていると思います。
まだまだ不登校真っ只中です。未熟な私には、まだまだ助けが必要です。

いつか色んな方から受け取った優しさを、誰かに返していけたらいいな、と思います。

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