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インドア生活 20日目 ボンゴレの話

シチリア島の州都、パレルモからの発信。

もうずーっと家にいるし、テレビはほとんど観ないので、今日が何曜日だかも忘れてしまっています。 ある意味のんびり過ぎです。

思ったほど断捨離が進んでいなく、あれ?って感じ。 もっと出来る予定だったのに。 時間があり過ぎてだらけているのでしょう、自分でも分かっているのです。

でもパソコンの中は結構断捨離できて、写真は勿論、書き溜めていたファイルの整理、いらないファイルの削除など進んでいます。 ようするに座ってばかりってことかしら。 古い写真を眺めながらその時の事を思い出したり、更にそこから思いが別の方向へ飛んだり・・・と、楽しい。

出てきたパスタの写真の1つ、近年撮った写真ですが、これが私にとって基本となるパスタだった事を思い出しました。

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お馴染み、ボンゴレ・ビアンコです。

遠い昔、短大卒業後新卒で入社したJAL、地上研修と訓練を経て旅出して6ヶ月後、自分のチェックフライトだったのが18日間南回りのルート。 これ、結構きついフライトで、中近東を回ってヨーロッパまで行くのでセキュリティーとか大変なんです。 でも最終目的地がローマ!!!

あのフライトがあったから、今イタリアに住む私がいるわけで。

話を戻すと、5泊のローマステイ、とにかくボンゴレを食べまくったのでした。 他の先輩方も皆んなボンゴレ。 日本ではまだ本格的なボンゴレを食べさせてくれるお店がほとんどなかった頃なので、こんなに美味しい物が存在するのか!と、夢中で食べました。

昼もこれ夜もこれ、最低1日2回は食べ、ランチで1皿食べた後満足しなかった場合はレストランを変えてもう1皿食べたりも。 そうすると1日3皿、 鉄の胃袋を持っていた頃の話です(笑)。

まぁ私は先輩方の真似をしていたわけですが、そうするうちに「パスタといえばボンゴレ」となりました。 当時は作り方も分からず、日本では美味しいのに出会えないからとにかくローマで食べなくてはいけないという、半ば強迫観念に近い物がありました。 

その1年半後、またしてもフライトでローマに5泊した時も同様、ひたすらこれを食べ続ける毎日。 他の物に興味が湧かなかったのです。 イタリア料理は一言でくくれない、ミラノ料理があり、ローマ料理があり、シチリア料理がある・・・、などという事も全く知らずでした。 日本における「第一次イタ飯ブーム」の前でしたからね。

更にその後旅行でイタリアへ行く頃には少し落ち着いて、他の物も食べるようになりました。 そして休職して留学。 行き先はトスカーナ地方のフィレンツェ。

最初の頃、ボンゴレ熱を思い出しとにかく食べようと。 今までローマで食べたあの味を思い出しながら入るトラットリアやレストラン。 ところが・・。 どこで食べても大して美味しくないのです。 え〜、青天の霹靂、イタリアでどうして美味しいボンゴレに出会えないのか??? 不思議で不思議で・・・。

通っていた語学学校も先生にボンゴレの美味しいレストランを聞いてみたところ、「ローマ以南の海沿いの町へ行け、ナポリかシチリア」と言う返答で又々びっくり。 そこで初めて「イタリア料理は地域性があり、ボンゴレはトスカーナ地方の料理ではない、フィレンツェは内陸だし魚は食べない」と言う事を知りました。 次の週末、1人で電車に乗ってローマまでボンゴレを食べに行きましたよ。

こんなに長い年数イタリアに暮らしていると、そう言う昔の感動やら驚きを忘れてしまう事が多いのですが、写真から新入社員だった頃の事までを思い出し、1人で微笑んでしまいました。 そしてあの最初のローマでイタリアに恋をし、日本で語学を学び始めて、それから留学となった訳ですから。 

今現在はほとんどパスタを食べなくなって、興味がなくって、レストランで自分がオーダーする事は滅多になくなりました。 通常メイン料理と付け合せの野菜を頼みます。 相方は大のパスタ好き、シチリアの人って本当によくパスタを召し上がる。 毎日でも食べたいらしいですが、毎日は作ってあげない(笑)。 自分だけの為に作らなくて良いと言うので、その言葉をそのまま信じて。

20年近くシチリアに住んでも、私の基本のパスタは「ナスとトマト味」にはならない、やっぱり今でもボンゴレ・ビアンコなのです、たとえ食べる機会が少なくともね。

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