見出し画像

シチリアの天然海の塩

シチリア島の州都、パレルモからの発信。  ボンジョルノ。

今日も暑いです。 ちょっと動くと汗が出てきます。 何もやる気になりません。だけれどこの暑さの中できちんと働いている方も沢山いらっしゃるわけで、尊敬です。

金曜日に訪れた塩田で働いていらした方々の姿を、本当に感心しながら拝見しました。 その塩田の様子を少々お伝えしたいと思います。

以前も書きましたがここの塩田は紀元前8世紀頃、フェニキア人によって作られたのが最初です。 塩を作る為に必要な海、乾燥に必要な太陽、そして海水を引き入れる為の風車に必要な風と言う要素が備わっている場所なんです。 その場所はシチリア島トラパニ県のトラパニの町からマルサラ辺りまでに広がります。

トラパニを高台の別の町、エリチェから眺めると・・・

画像1

こんな感じであります。 そして少し左へ移動すると・・・

画像2

ヌビアという町の塩田が見えます。 わかるかしら?

広範囲にわたって存在する塩田ですが、私はその中の1つへ行ってきました。 昨日も書いた通り、塩の博物館とレストランが併設されています。

この時期は正に作業の真っ只中、実は8月に行くのは初めてなのです。 だからとても楽しみにしていました。 

画像3

海水を引き入れて、水が蒸発して塩分が高くなるたびに別の場所に引き入れ・・・を繰り返していきます。 この写真でかなり塩分が高くなっているのがわかると思います。

画像4

言われてみなければ雪景色と間違いそうです。

画像5

結晶化された塩を砕いて、ベルトコンベアーで運びます。

画像6

画像7

こうやって山型にして、この後テラコッタで覆います。 そして約8ヶ月乾燥させてからもう一度砕いて精製します。 

ここの塩田は家族営業、元々は今の経営者のおじい様がこの塩田で働いていらしたとのことです。 その後おじい様が買い取ったと。 現在そのおじい様の息子3人がそれぞれ塩田、博物館、レストランを分けて経営しています。 更にお孫さん達も皆んなここで働いています。 つまり従兄弟達、孫の代に入ったということですね。

博物館で働くお孫さんの話によると、おじいさまの時代は勿論ベルトコンベアーなどあるはずもなく、完全に手作業、過酷な肉体労働であったと。 今でも十分過酷だと思いますが当時はバケツで塩を運んでいたのですからね。 バケツ1杯が30Kgだったそうです。 1日働くと太陽と塩の照り返しで皮膚は火傷状態になってしまいます。 更にこの照り返しで目を痛めてしまいます、サングラスも手に入りにくい時代ですから。 その為、長年この仕事をしていると65歳くらいで失明する方達も多かったとか。 きちんとしたブーツもなく、サンダルのような物で塩の上を歩いたり、塩分の高い塩水に足を入れなくてはいけないので、足もパンパンに腫れてしまうそう。 想像がつきます。 

画像8

この方の皮膚も黒光していました。 短パンで作業してしていらっしゃいましたが、アラブ人のように白い薄手の長袖シャツの方が良いのになぁ、などとお節介なことを考えた私です。

眺めて写真を撮っているだけで汗だくだった私、1日ここで働くってどれだけ体力を消耗するのか? そしてこの美味しいお塩が決して高価のものではなく、パレルモ市内の市場へ行けば二束三文ですから、それ又驚きです。

2700年以上続いている塩田、天然海の塩、毎日有り難く使わせて頂いております。 感謝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?