ひと段落ふた段落…

8月はコンテストと舞台とバタバタと過ぎで行き

練習や暗記、仕事で覚えなきゃならないことも多々あった。

あたしはエネルギーが強くパワーがある。

何となくは認識していたけど、

エネルギーがめっちゃ強い人にそう言われると

やたらと信憑性が高くなり、

また、そのエネルギーが良き方向へ向かうならばいいが、エネルギー使いになれていないと、他者にこのエネルギーをぶつけてしまうみたいだ。

他者と喧嘩したくないのは、それを潜在的に解っていたからかもしれない。

だけど、心からの腹からの叫びを伝えた時に

圧力が強いためか、無理矢理納得?というか

そんなに言うなら仕方ない…と思わせてしまう。

人を死ぬほど愛すると

その人に笑っていて欲しいと願う

幸せであって欲しいと願う

自分自身を大切に扱って欲しいと思う

だけど

何をして幸せと感じるのかは

人それぞれであるから

幸せであって欲しい
自分自身を大切に扱って欲しい…は

こちらからのただの押し付けにはならないのか。
愛の押し売り。

生きろ生きろと言われて
うんざり生きていた頃

死を選ぶ自由はないのか?と思っていたし
自死を悪とする訳を知りたかったし

生きていることが幸せだと
押し付けられる辛さを感じてきた。

それなのに
今や自分がそれをする側になり
苦しめているのかもしれないと思うと

つくづく人は勝手で
エゴイスティックで
やっぱり、死んだように生きていた方が
誰にも何を押し付けないでいられたのかもしれない。

生きるを強制し
笑顔を強制し
幸せを強制し
自愛を強制している。

ものすごいエネルギーで。

さすれば

あたしは都合良く過去を忘れた
身勝手極まりない
強欲な人間。

だから、また知りたくなる。

死を選択することが
何故に悪なのか。

宗教的な道徳的なスピリチュアル的な理由ではなく

あたしが納得行く理由を誰か持っているなら

教えて欲しい。

そして愛する人に伝えたい。

何故、生きることが大切なのかを。

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