花束
クリスマスちかく、
会えることになった方たちに
花束を贈ることにしました。
花屋には、2年半ほどですが
勤めていたことがあります。
もう3年半くらい前。
久々に誰かを想ってつくります。
束ねているとき、
“あんまりゆっくりつくると
花に負担をかけるよ。”
“もっと空気をいれて。
花たちがくるしそうだよ。”
など当時
教わっていたことが
頭をかけめぐっていきます。
目立つ場所ではないけれど、
奥行きをだすのに欠かせない
ところへ快く行ってくれる花
ちょっと、
私をそんな後ろにするつもり?
なんていう花は、
前のほうにきてもらうと
ビシッとキメてくれます。
一緒に働いていたスタッフさんで、
その方がつくると花たちが
キラキラ輝いてみえる、
そんなアレンジをされる方がいました。
「お花はアレンジなんてしなくても
そのままできれいなんだから、
手を加えることで花の魅力を
落としてしまうくらいなら
花に触れるな!って教わったよ〜」
と穏やかに淡々と語りながら、
その方は
“お花をさらに美しく魅せる仕事”
をされていました。
ひとつひとつ、丁寧に花をみている。
こっちが顔の正面かな
こっちにむかって
のびていきたいのかな
それならここにきたほうが
かたちそのまま生かせるね
花と対話するように。
可愛いね、きれいだね
と思いきりほめながら。
花は、いきものなんだ。
その手を、そのまなざしを
みながら強く感じたことを
思い出しながら、
花に触れていきます。
先日は冬至でしたね。
このあたりの時期に、
“真っ暗なトンネルの中ひとりぼっちだ”
という感覚を持っていたことがあります。
良いお年を。良いクリスマスを。
ありふれた挨拶のあと、
みんなどこへ帰っていくのだろう。
待っていてくれる人がいるのだろうか。
ここが自分の帰る場所だと、
堂々としていられるような。
私にも帰る家はある。
それでもどうしても、
心はふわふわ彷徨って
居場所を見つけられず
寄る辺なさを感じていました。
ひとりでいることが
孤独を感じることが
まるでゆるされないような、
楽しげな街の雰囲気に
さらにうちのめされる。
真っ暗で、
出口なんてまるで見えない。
トンネルの出口が近づき
光が差しこんでくるのは、
花の便りがとどくころ。
外にでたとき
春風の暖かさ
桜の美しさに、涙がでる。
春が好きなのは
こんな流れから
きていた気がします。
時間は流れ
たくさんのぬくもりにふれて
トンネルを歩いていたときの
冷えた心も少しずつ溶けて
変わっていくことを
今の私も、あのころの私も
ゆるやかにうけとめている
ずっとバラバラだったけれど、
手を繋いで同じ場所に立てた
そんなことを
感じられた年になりました。
この先
手を離してしまうことがあっても、
手を繋ぎ、並んでいられたことは
ちゃんと憶えていると思います。
私の書いたものを
読んでくださったかた、
お話してくださったかた、
大切に想い、感謝しています。
この1年もほんとうに
ありがとうございました。
きたる新年もどうぞ、
よろしくお願いいたします😊🌸
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